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3月3日が「金魚の日」ってどうして? 答えは江戸時代の風習にあった

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当記事はSUUMOジャーナルの提供記事です

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3月3日が「金魚の日」ってどうして? 答えは江戸時代の風習にあった

3月3日は、言わずと知れた「ひな祭り」の日。ほかにも、「耳の日」だったりするけど、実は「金魚の日」でもある。「なんで金魚?」という疑問にお答えしよう。連載【江戸の知恵に学ぶ街と暮らし】
落語・歌舞伎好きの住宅ジャーナリストが、江戸時代の知恵を参考に、現代の街や暮らしについて考えようという連載です。金魚とひな祭りの意外な関係とは?

そもそも金魚と言えば、夏の風物詩と思われているはず。夏の縁日でも、薄い紙を張った「ポイ」で金魚をすくう「金魚すくい」を楽しんだという人もいるだろう。水の中を涼しげに泳ぐ、愛らしい金魚の姿は、いかにも夏にふさわしい。

ところが、江戸時代、金魚は2月の中旬から3月のはじめに売られていたという。それは、なぜか?
ひな祭りに飾るからなのだ。金魚鉢をひな壇に飾るという風習があったので、金魚売りがそれに合わせて、売り歩いたという。金魚売りの売り声は、春を呼ぶ縁起の良いものとされていたのだろう。

そもそもひな人形は、紙などでつくった人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れ(けがれ)を移し、川や海へ流したことが起源と言われている。

・参考記事:最初は紙だった!? 雛人形が豪華になっていった理由とは

もともとはひな壇に、ハマグリやスルメなどの水に縁のある物を飾っていたということから、金魚も飾られるようになったようだ。

【画像1】「守貞謾稿. 巻6」喜田川守貞より抜粋「金魚売」(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)

【画像1】「守貞謾稿. 巻6」喜田川守貞より抜粋「金魚売」(画像提供/国立国会図書館ウェブサイト)

品種改良もさかんだった、江戸時代の金魚の養殖

江戸時代後期の三都(江戸・京都・大阪)の風俗や事物を説明した「守貞謾稿(近世風俗志)」で、金魚についてこう説明している。「金魚は紅色の小魚。池中および盤中に飼いて観物す。」とあるので観賞用だったということが分かる。「金魚に異種あり。形小、尾大にて大腹のものあり。常に尾を上に、首を下に泳ぐ。京坂これを蘭虫という。江人これを丸子という。」

背ビレがなく、まるっとしている高級金魚のランチュウは江戸時代に既に誕生していたよう。冒頭の浮世絵にもあるとおり、江戸時代は陶器に入れて金魚を鑑賞した。金魚を鑑賞するには、真上から見たのだ。

【画像2】現代のランチュウを上から見た様子(写真/PIXTA)

【画像2】現代のランチュウを上から見た様子(写真/PIXTA)

この鑑賞法を「上見(うわみ)」と言い、「上見」にふさわしい形に金魚は改良されていった。「守貞謾稿」には「紅あり、白あり、紅白を交ゆるあり、黒斑(まだら)もあり。」とあり、「価金三、五両に至る。」とある。今でいうと、いくらぐらいしたのだろう。日本銀行金融研究所の貨幣博物館のサイトを見ると、江戸中~後期で1両4万~6万円を目安としているので、金魚がおおよそ10万~30万円くらいしたことになる。

落語にも「金魚」が登場。ただし、主役は金魚を狙う猫のほう

落語にも金魚が登場する。
ある商家の主人が金魚を飼ってかわいがっていた。ところが、隣家の猫が金魚を餌にしようと狙っているからたまらない。主人は番頭に、隣家の猫が金魚を食べないようにするように言いつける。ところが、頓珍漢(とんちんかん)な番頭が金魚鉢を湯殿の棚に上げると、猫が窓から湯殿に入ってきて金魚鉢の中をかき回し始める。

仕方がないので横町の虎さんを呼んで、猫を捕まえてもらおうとするのだが、意外に強くなかった虎さんは、湯殿で大立ち回りをして金魚鉢をひっくり返してびしょ濡れに。「あたしは猫にかないません。」「だってお前、虎さんじゃないか。」「名前は虎でも、今は濡れネズミです。」

実はこの落語は、漫画「のらくろ」で一世を風靡(ふうび)した田河水泡(たがわすいほう)の作とされている。主人と番頭の会話や虎さんとの会話等が実に漫画的なのだが、昭和の戦前の作品なので、『落語こてんパン』で柳家喬太郎師匠が書いているように、古典というより古い新作の落語といった感じのものだ。

この落語「猫と金魚」に出てくる金魚は、ランチュウだ。江戸時代以降、昭和初期でも高級な金魚として、大切にされていたことが分かる。ただし昭和初期になると、ガラスの金魚鉢が一般的だったことも分かる。

2月22日の日経新聞の記事によると、トロイ遺跡の発掘などで知られるシュリーマンが幕末の江戸や横浜を旅した際の直筆日記が、ギリシャの図書館で見つかったという。記事によると日記には、江戸でブームになっていた盆栽や金魚を街中でよく見かけ、「当時フランスの富裕層に人気だったガラス製水槽と似た金魚鉢を見つけて喜んだ」ことが記述されていたとか。幕末期には、陶器製だけでなくガラス製の金魚鉢もあったということがこの日記から分かる。

「金魚の日」は、1990年に日本鑑賞魚振興会が制定したとされる。金魚は縁日で売られるほど低価格でなじみやすいものになったが、夏になると「アートアクアリウム展」などのアート作品としても登場するほど、今なお鑑賞用のペットとして愛されている。

●参考資料
・「江戸の暮らしの春夏秋冬」歴史の謎を探る会編/河出書房新社
・「落語ハンドブック改訂版」山本進編/三省堂
・「落語こてんパン」柳家喬太郎著/ポプラ社
・「近世風俗志(一)(守貞謾稿)」喜田川守貞著/岩波文庫 住まいに関するコラムをもっと読む SUUMOジャーナル

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