南海トラフ地震の津波対策へ地元企業が300億円の寄付。10年かけ全長17.5kmの防波堤ができるまで 静岡県浜松市

更新日:2022年8月16日 / 公開日:2022年8月16日

当記事はSUUMOジャーナルの提供記事です

他のおすすめ記事を読む
ダイソーさんマニアックだって…!わかる人にはわかる?!あるものをモチーフにしたキーホルダー

内閣府が実施した南海トラフ巨大地震の被害想定によると、全国のなかで甚大な被害が予測される都市の1つである静岡県浜松市。2012年、地元を創業の地とするハウスメーカーが、地震による津波対策のために300億円を寄付したことが話題に。2020年に全長17.5kmに及ぶ防潮堤が竣工しました。民間の寄付金をきっかけにはじまった全国初のプロジェクトが地域にもたらしたものとは。地震による津波対策の先進事例を、プロジェクトに携わった静岡県浜松土木事務所に取材しました。

南海トラフ巨大地震により、浜松市だけで約1万6千人の死者が予想されていた

浜松市中心部にあるアクトタワーと馬込川(画像/PIXTA)

2011年に起きた東日本大震災は、東北地方を中心に、太平洋沿岸の広範な地域に甚大な被害を与え、約1万5900人の死者(2022年3月警察庁発表)を出しました。特に、大きな被害をもたらしたのは、それまでの想定を大幅に上まわる巨大な津波でした。これを受けて、大震災による津波対策の見直しやいっそうの強化が急務になったのです。

津波対策について、東日本大震災以前と大きく変わったポイントは、津波の想定レベルの設定です。

中央防災会議では、今後の津波対策を構築するにあたり、基本的に2つのレベルの津波を想定しています。レベル1は、発生頻度は高く、津波高は低いものの大きな被害をもたらす津波、レベル2は、発生頻度は極めて低いものの、発生すれば甚大な被害をもたらす津波 (東日本大震災クラス相当)です。

レベル1については、津波を防ぐ施設高の確保など海岸保全施設整備等のハード対策によって津波による被害をできるだけ軽減。それを超えるレベル2の津波に対しては、ハザードマップの整備など、避難することを中心とするソフト対策を重視する方針です。

静岡県では、東日本大震災の直後から津波対策の総点検を行い、2011年9月、新たな行動計画として「ふじのくに津波対策アクションプログラム(短期対策編)」を取りまとめていました。同年12月、津波防災地域づくり法が成立。2012年に、内閣府から南海トラフの巨大地震モデルが提示されました。

南海トラフ巨大地震では、関東から九州の広い範囲で強い揺れと高い津波が発生すると想定されています。静岡県では、『第4次地震被害想定策定会議』を設置し、新たな地震被害想定を実施。2013年6月と11月に報告を公表。その結果、静岡県特有の課題が明らかになったのです。

シミュレーションでは、防潮堤と水門により宅地浸水深2m以上の範囲を98%低減することが期待できる(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

静岡県浜松土木事務所 沿岸整備課長 石田安秀さんはこう話します。
「浜松市は津波の到達時間が短く、多くの人口・資産が集中する低平地において広範囲に大きな被害が想定されました。静岡県の南海トラフ巨大地震の津波による想定死者数は、全国で最も多い9万6000人(2013年時点予測)でした。特に低平地が広がる浜松市は、沿岸部に人口が集中し、工場など働く場所もあります。津波による浸水面積は約4200ha、最大津波高さは14.9m、家屋の流失は約2600棟。地震発生から津波が海岸に到達する時間は、わずか約15分です。東日本大震災の東北エリアの場合で40~60分ありましたから、十数分では、避難時間が確保できません。浜松市だけで約1万6000人もの命が失われると想定されたのです」

浜松市沿岸部。海岸近くに人・家・工場が集中。国道1号線が海沿いを走っている(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

天竜川河口から浜名湖今切口までの17.5kmが整備区域に指定された(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

一条工務店グループの寄付により全国にない防潮堤整備が始動。「何としても命を守る」

国の指針では、レベル1の津波をしっかり防ぐことを目標に補助金を使った防潮堤の整備や、避難施設の整備が全国で進められています。浜松市では、レベル1を防ぐための防潮堤はすでに整備されており、地域の課題となるのは、レベル2の津波対策です。国は、ハザードマップなどを整備して避難するソフト面での対策を重視していました。

「地域特性から、ソフト面の対策のみでは、沿岸域の住民の命を守ることは多くの困難が伴うと考えていましたが、レベル1を超える津波を防ぐための防潮堤工事には、前例のない規模の整備費用を地元だけで捻出する必要があり、整備ができない状況でした」

ターニングポイントは、一条工務店グループからの300億円の寄付でした。「創業の地である浜松市の多くの命、財産を津波から守ってほしい」と多額な寄付を県に申し出たのです。

2012年6月に、一条工務店グループ、静岡県、浜松市で「三者基本合意」を締結。一条工務店グループは300億円の寄付、県は浜松市沿岸域の防潮堤整備、浜松市は必要な土砂の確保と市民への理解促進を行うことが合意されました。2012年9月に浜松市沿岸域防潮堤整備事業に着手。レベル1を超える大津波に備える、全国初のプロジェクトがはじまりました。

一条工務店グループは、静岡県に防潮堤整備に用いる費用として300億円を寄付。静岡県、浜松市と「三者基本合意」を結んだ(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

目標としたのは、「想定最大津波に対しても命を守る減災効果を得る」こと。

「どんなに備えても想定以上の震災が生じる可能性は残り、レベル2以上の津波が来た場合、防ぎきることはできないだろうと言われています。レベル1を超える津波への対策の基本方針は、『減災』です。減災とは、人命を守りつつ、被害をできる限り軽減すること。最優先は、避難するまでの時間を稼ぐこと。次に、家屋の流失を防ぐのが防潮堤の役割です」

レベル2の津波が発生すると想定される南海トラフ巨大地震に対して、防潮堤と馬込川河口の水門で、既存防潮堤で防ぎきれないレベル1以上の津波から街を守る計画です。浸水深2m以上が、木造家屋が倒壊する目安とされています。減災効果をシミュレーションして整備規模を決定し、限られた事業費の中で最大限の減災効果が得られるように設計されました。

宅地の浸水シミュレーションでは、整備前の浸水深2m未満と以上をあわせた1464haが、整備をすることで、280haまで減災できると見込まれた(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

静岡県・浜松市・市民が一体となった「オール浜松」で整備が進む

これほど大規模な防潮堤を短期間でつくりあげる事業は、全国的に前例がありません。県・市・一条工務店グループは、検討会議を重ねるとともに、地元自治会の要望や意見を反映するため推進協議会を立ち上げ、浜松商工会議所と連携し、横断幕やロゴマーク等を作成。地域と連携しながら一般市民に理解を求めていきます。工事には地元の建設会社が広く参画できるようにすることも決まりました。

民間企業の寄付ではじまった大津波から街を守るプロジェクト。その後、「自分の街を守りたい」という思いが市民に広がり、大きなうねりとなって、「オール浜松」運動へつながっていきました。静岡県・浜松市・市民が一体となり、プロジェクトを推進する運動です。この運動により、市民や民間企業の寄付を募ったところ、浜松商工会議所、自治会連合会、市民団体から、約13億円もの寄付が集まったのです。

「2014年から本格的にはじまった工事で、最も気を使ったのは、土砂の運搬です。工事には防潮堤に使う大量の土砂が必要です。運搬した土砂は、山一つ分に相当する200万立米に及びました。それをダンプトラックが工事現場へ運びます。騒音や交通規制などで日常生活に影響が生じるため、周辺住民には丁寧に説明をして理解していただきながら慎重に進めました。問題があっても『どうしたら実現できるか』を考えながら、市民が苦労を分かち合ってくれました」

浜松市内の阿蘇山からダンプトラックに土砂を載せ、市街地を通って工事現場へ運搬した(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

土砂とセメントと水を混ぜて製造したCSGを、ブルドーザで均一にならしているところ(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

宅地の浸水面積8割減、浸水深2m以上の範囲は98%少なくなった

2020年3月、7年に及ぶ工事を終えて、浜松市沿岸域防潮堤がついに竣工しました。防潮堤の中心には、ダム技術により開発された土砂よりも強度があるCSGを使用。区間により異なりますが、その両側を土砂やコンクリートで覆い、強化した構造です。高さは標高13~15m、CSGを覆う両側の盛土等を含んだ堤防の幅は約30~60mで、17.5kmに及びます。

既存堤防とさざんか通りの間に新設された防潮堤(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

防潮堤により市街地を津波から守ることができる(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

CSGの両側を土砂で覆ってから海岸防災林を再生(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

防潮堤に、今後整備される馬込川河口津波対策の水門を加えた効果として、宅地の浸水面積は約8割少なく、宅地の浸水深さ2m以上の範囲は98%低減することが期待できます。

「防潮堤は津波をすべて防げるものではなく、避難することが前提ですが、津波の到達時間が長くなることで、安全な場所に避難するための時間をかせぐことができます」

「オール浜松」による事業の推進や減災効果に重点を置いた防潮堤の整備など今回の防潮堤事業に関する一連の手法は「浜松モデル」と言われ、「静岡モデル」として地域の特性に合った津波対策を提唱するきっかけになりました。現在は、県内の沿岸21市町のうち8市町で実施されています。防潮堤の建設期間中、3万人を超える人が、日本全国や海外から視察に訪れました。

浜松まつりでは、防潮堤の上から凧揚げを観覧している(画像提供/静岡県浜松土木事務所)

「今回の事例は、公共事業のクラウドファンディングとも言えますね。私財を投じた津波対策の昔の事例に、和歌山県広川町の『稲村の火』や広村堤防などがあります。今回の事例が、事業や制度に限界があるときに、企業や市民の参加や寄付によって街の防災が進展するきっかけになればと思っています」

浜松市沿岸域防潮堤は、市民から親しみを込めて「一条堤」と呼ばれているそうです。堤防の上部は道路になっていて、犬の散歩や浜松まつりの凧上げを見に訪れる人も。今も、水門工事が着々と進められています。国による公助、自治体による共助に加えて、自らが考えて行動する自助がさらに安心なまちづくりにつながると感じました。

●取材協力
・静岡県浜松土木事務所

住まいに関するコラムをもっと読む SUUMOジャーナル

【住まいに関する関連記事】



この記事のライター

新着

ログイン・無料会員登録