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デュアルライフ・二拠点生活[11]京都府福知山市 ライフステージの変化を受け入れ、無理なくしなやかに変わる二拠点暮らし

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当記事はSUUMOジャーナルの提供記事です

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京都府福知山市 ライフステージの変化を受け入れ、無理なくしなやかに変わる二拠点暮らし

2012年、単身で京都府福知山市雲原地区に移住し、農家民宿を運営する吉田美奈子さん(30)。地域の人との関り、地域に溶け込み、雲原生活を楽しみながらも、結婚や出産などライフステージの大きな変化とともに京都市との二拠点生活へと移行しました。環境の変化に合わせて無理なく、しなやかにデュアルライフを楽しむ吉田さんの暮らしぶりをうかがいました。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点居住者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます「こんな風になりたい」と思える人たちとの出会いに移住を決意

京都府福知山市の北端に位置し、山に囲まれたのどかな風景の広がる雲原地区。吉田さんが雲原に移住したのは2012年、地域の方々が主催する『歩こう会』という山を歩くイベントに参加したのがきっかけでした。
福知山市の中心部出身の吉田さんにとって、雲原は知っているようで知らなかった場所。特に観光的目玉や「これ!」といった特徴がある地域ではないけれど、雲原の人たちはとても雲原を愛していて、明るくて、カラッとしていて……関われば関わるほど、その風通しの良い人柄に惚れ込み「ここで暮らしたら、皆さんみたいになれるんじゃないか」と移住を決意したのだそう。

移住の半年前に偶然空き家になった一軒家を借り、農家民宿を運営しながら地域の方々と関わる日々。消防団員になったり、地元の人の憩いの場になるように100円カフェを開いたり、畑で農作業をしたり、雲原での暮らしは想像以上の充実ぶりで、あっという間に5年が過ぎました。

『雲原の父』『雲原の母』と呼べるような間柄の人もでき、「結婚するなら、この山の暮らしに抵抗がない人に婿養子に来てもらわないと!って思っていました」と吉田さん。

「生きるところを探していたら雲原にやってきた」という吉田さん。最初はひとりだった雲原生活も、今ではプログラマーの夫(42)と娘さん(2)の3人に。実はもうすぐもうひとり家族が増える予定。ますます雲原がにぎやかになりそうだ(写真撮影/中島光行)

「生きるところを探していたら雲原にやってきた」という吉田さん。最初はひとりだった雲原生活も、今ではプログラマーの夫(42)と娘さん(2)の3人に。実はもうすぐもうひとり家族が増える予定。ますます雲原がにぎやかになりそうだ(写真撮影/中島光行)

結婚や出産など、ライフステージにおける大きな変化が起きがちな20代後半にさしかかったとき、吉田さんにとってひとつの転機が訪れます。京都市出身で京都市に暮らす夫と付き合いはじめた当時、「結婚後も雲原で暮らし続けることは、結婚成立への最大にして唯一のハードルである!」と思っていた吉田さんは「結婚しても雲原生活をやめたくない」と相談。すると、夫から「田舎だけとか都会だけとか、どっちかに決めなくてもいいんじゃないの?」という答えが!

結婚を機に、夫か妻かどちらかの生活圏に合わせて拠点を構えねばならないと思い込んでいた吉田さんにとって意外過ぎる、まるで目から鱗が落ちるような言葉だったそう。そして、そんな柔軟な発想をもっていた夫と結婚。吉田さんの暮らしは夫の拠点である京都市と、吉田さんの拠点である福知山市のデュアルライフに移行していきました。

吉田さんも手伝っていた『北陵うまいもん市雲原店』。町内のおばちゃんたちが調理する『水車定食』は遠方から食べにくる人も。この日はこんにゃくと、おかずの仕込みをするために集まっていた。みんな「あら!おかえり!」と家族のように吉田さんを迎える(撮影/中島光行)

吉田さんも手伝っていた『北陵うまいもん市雲原店』。町内のおばちゃんたちが調理する『水車定食』は遠方から食べにくる人も。この日はこんにゃくと、おかずの仕込みをするために集まっていた。みんな「あら!おかえり!」と家族のように吉田さんを迎える(撮影/中島光行)

雲原地区は福知山市の北端、四方を山が囲む標高300~400mの盆地にある小さな集落。「他の地域をたくさん見たわけではないけれど、ここは田舎特有の囲い込み感が少なく居心地がいい。これまで暮らしたどこよりも大切にしたい場所」と吉田さん(撮影/中島光行)

雲原地区は福知山市の北端、四方を山が囲む標高300~400mの盆地にある小さな集落。「他の地域をたくさん見たわけではないけれど、ここは田舎特有の囲い込み感が少なく居心地がいい。これまで暮らしたどこよりも大切にしたい場所」と吉田さん(撮影/中島光行)

2009年、地元中学校の閉校をきっかけにつくられた「みんなの水車広場」。村の人の手によって建てられた水車と水車小屋は動かすことができ、この水車で約12時間かけて精米した「水車米」は、隣接する「みんなの和楽家(わがや)」で提供するランチに使用(撮影/中島光行)

2009年、地元中学校の閉校をきっかけにつくられた「みんなの水車広場」。村の人の手によって建てられた水車と水車小屋は動かすことができ、この水車で約12時間かけて精米した「水車米」は、隣接する「みんなの和楽家(わがや)」で提供するランチに使用(撮影/中島光行)

水車小屋ができた翌年、新たに地域住民が集える拠点になるよう、昔ながらのおくどさんや囲炉裏、畳敷きの部屋などをそなえた施設「みんなの和楽家(わがや)」が完成。日曜日は「北稜うまいもん市雲原店」として定食の提供も行う。要予約でピザ焼き体験も可能(撮影/中島光行)

水車小屋ができた翌年、新たに地域住民が集える拠点になるよう、昔ながらのおくどさんや囲炉裏、畳敷きの部屋などをそなえた施設「みんなの和楽家(わがや)」が完成。日曜日は「北稜うまいもん市雲原店」として定食の提供も行う。要予約でピザ焼き体験も可能(撮影/中島光行)

この日、つくられていた「雲原こんにゃく」は凝固させるためにそば殻の灰を使用する、雲原地区伝統の製法。灰汁抜きせずにそのまま生で食べられる。おかずはおばちゃんたちがすべて手づくりする人気の「水車定食」の一品にもこのこんにゃくを使用(撮影/中島光行)

この日、つくられていた「雲原こんにゃく」は凝固させるためにそば殻の灰を使用する、雲原地区伝統の製法。灰汁抜きせずにそのまま生で食べられる。おかずはおばちゃんたちがすべて手づくりする人気の「水車定食」の一品にもこのこんにゃくを使用(撮影/中島光行)

支えてくれる、繋がりある人たちのありがたさを実感

●火・水・木曜日→京都市にいて、夫は会社に出勤して仕事をし、吉田さんは京都の自宅で娘さんと過ごす。
●金・土・日・月曜日→福知山市へ。夫は自宅で普段通りに仕事をして、吉田さんは借りている田畑で畑仕事をして農家民宿を開く。
吉田家のスケジュールはだいたいこのようになっています。

吉田さんの運営する農家民宿は、お客さんと一緒に食事をつくって食べる共同調理形式で、お客様と一緒に時間を過ごすスタイル。もちろんそこには夫も娘さんも参加します。「週末もずっと仕事をしている形になるけれど、暮らしの延長のような感じなのでまったく苦じゃないですね」と吉田さん。お客さんのいない日はみんなで農作業をしたり、地域の集まりに参加したり。大変そうなイメージだった二拠点の移動も、夫と娘さんがいればこそで、まるで小旅行気分で楽しんでいるのだそう。

「ただ、二拠点になったことで地域の集まりに顔を出すことがやはり減ってしまいました。月に一度の区費の集金の会なども、参加できるときにまとめて払わせていただいたり、雲原の人たちも私たちの二拠点生活に柔軟に対応してくださっていてとてもありがたいです。二拠点になったからこそ、各場所での自分たちの役割についても、強く意識するようになりました」

吉田さんは二拠点になったからこそ、暮らすこととは家族のことだけでなく、周囲の人たちのとの協働プロジェクトだ、と思うようになったと言います。
「この先もどんな風に変わっていくか分かりませんが、その変化そのものも楽しんでいきたいと思います」

雲原の家は一軒家で、もともと大工さんが使っていた家だったからかメンテナンスもほぼ完ぺき。住むにあたっては天井を少し直したくらいで、手を加えた部分はほとんどなかったのはラッキーだった。部屋数は7部屋で広々としている(撮影/中島光行)

雲原の家は一軒家で、もともと大工さんが使っていた家だったからかメンテナンスもほぼ完ぺき。住むにあたっては天井を少し直したくらいで、手を加えた部分はほとんどなかったのはラッキーだった。部屋数は7部屋で広々としている(撮影/中島光行)

雲原・京都ともに同居する人がいる吉田家。二拠点ならではのゴミ出しの日の合わせにくさや不在時の防犯上の問題をカバーしあえるのが同居のいいところ。この日は偶然、同居する種池徹さんの彼女さんが雲原に。吉田家との顔合わせだった(撮影/中島光行)

雲原・京都ともに同居する人がいる吉田家。二拠点ならではのゴミ出しの日の合わせにくさや不在時の防犯上の問題をカバーしあえるのが同居のいいところ。この日は偶然、同居する種池徹さんの彼女さんが雲原に。吉田家との顔合わせだった(撮影/中島光行)

以前、吉田さんとハウスシェアをしていた佐々井飛矢文さん。佐々井さんもデュアラーで、大学の研究で訪れた雲原に魅了され、埼玉との二拠点暮らしを送るように。雲原では「雲原 大江山 鬼そば屋」の7代目店長を務める(撮影/中島光行)

以前、吉田さんとハウスシェアをしていた佐々井飛矢文さん。佐々井さんもデュアラーで、大学の研究で訪れた雲原に魅了され、埼玉との二拠点暮らしを送るように。雲原では「雲原 大江山 鬼そば屋」の7代目店長を務める(撮影/中島光行)

気構えすぎずに、流れに身を任せてみるのもひとつ

吉田さんが二拠点暮らしの中で「どうすればいいかな」と思ったのは、娘さんの学校のことでした。夫婦ふたりだけだったころと子どもができてからでは、同じ二拠点暮らしでも悩むことが異なってきます。子どもができたことで考えなければならなくなった「教育」に関する問題は、まず「保育園をどうするか」からはじまりました。そもそも、京都市内と福知山市を行ったり来たりするなかで、子どもを保育園に通わせることができるのか?どのように通わせるのがいいのか?

「調べること自体が億劫で、もう通わせなくてもいいんじゃ……なんて考えました」と吉田さん。
京都市内・福知山市内と両方の保育園を見学するなかで、自ら理想の保育園を開けばいいのでは……まで思いつめたことも。結果的に、京都市の一時保育の制度を利用することにしたそうだけれど、もう少し時間がたてば、今度は「小学校をどうするか」を考えなくてはならないのでは。そう思い、聞いてみました。

「小学校は京都市で通わせる予定にしています。こっちは歩いて行ける距離に小学校がないし、通学のバスもいつまで運行されるか分からない部分がありますから。子どもが小学校に通いはじめるときに、この二拠点暮らしがどんな風になるかは分からないけれど、暮らしのバランスを保つためにきっと何かいい方法があるんじゃないかなって思っています」

吉田さん家族の二拠点暮らしのとらえかたは、「こうしなければならない!」という縛りがなく、その時々で一番心地いい方法を選び、楽しんでいるように見えます。それは二拠点暮らしをはじめるときに夫が言った「無理にどっちかに決めなくてもいいんじゃないの?」が根底にあるからなのかもしれません。

雲原ののどかな風景のなかを元気いっぱいに走る娘さん。今、吉田さんは第2子を妊娠中で、秋ごろにはお姉ちゃんになる予定(撮影/中島光行)

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吉田さんが単身ではじめた雲原暮らし。夫との結婚を機に二拠点暮らしになり、家族が増え、さまざまな面において雲原との関わりも変化しています。片道115キロを毎週移動する暮らしに無理や大変さを感じないのは、きっと、その時々で無理のない暮らし方を選んできたからなのでしょう。吉田さん家族には、これからもいろんな変化が訪れるはず。でも、きっとその時々に、それぞれの場所で、家族の在り方を考え、その考えにしなやかに寄り添うような暮らし方を実践されていくことでしょう。

●取材協力
・雲の原っぱ社
・北陵うまいもん市雲原店
・雲原 大江山 鬼そば屋 住まいに関するコラムをもっと読む SUUMOジャーナル

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