トランプの過激パフォーマンスの原点は
プロレスでの「億万長者対決」だった
ドナルド・トランプ ©ヤマグチヤスヨ
まさかと思われた「トランプ政権の誕生」を筆頭に、本来、ガチガチにシリアスなはずの国際政治がエンターテインメント化してきている。
「不法移民対策のためにメキシコとの境界に壁を建てる」「イスラム教徒のアメリカ入国禁止」など、暴論ともいえる主張を連発するトランプ大統領。かつて、小泉政権はワンフレーズ・ポリティクスによる「劇場型政治」と称されることもあったが、トランプ大統領にいたっては、大統領選から現在まで、劇場化を飛び越え「プロレス化」を突き進んでいるのだ。
プロレス化するトランプ大統領は、実際にプロレスのリングに上がったことがある。
米国の世界的プロレス団体『WWE(ワールド・レスリング・エンターテインメント)』において、WWEのオーナーであるビンス・マクマホンと「億万長者対決」を繰り広げたのだ。
2007年4月、『レッスルマニア23』ではビンス相手に敗者髪切りマッチも決行。この一連の抗争によって、「歯に衣着せぬ発言」や「過激なパフォーマンス」を体得したとも言われている。
現実では許されない「確信的なタブー破り」で観客をあおる「WWE=アメリカンプロレス」の手法を、トランプ大統領はパクったのだ。
「ヒールターン」したヒラリーを葬り
ますますプロレス芸を磨くトランプ
大統領選において「勝って当たり前」の典型的ベビーフェイス(善玉)=ヒラリー・クリントンが、極めつけのヒール(悪玉)=トランプに破れたのはなぜか? その答えもプロレスにある。
リング上で悪役ながら「本音でものを言う」ヒールが、優等生すぎておもしろ味に欠けるベビーフェイスを人気で上回ることが、ままあるのだ。
圧倒的なベビーフェイスであったヒラリーが、突如、ヒールに転落したわけは、トランプの「本音の刺激」が、ヒラリーの「建前の正しさ」を凌駕してしまった結果といえる。プロレス界では「ヒールターン」と呼ばれ、今回の大統領選もまさにこの関係性そのものである。
就任後のトランプ大統領といえば、プロレス的な芸風を指南してくれたビンスの妻で、WWEのCEOも務めたリンダ・マクマホンをアメリカ中小企業局(SBA)局長に指名するなど、ますますプロレス寄りの自己演出を見せている。
トランプ・ファミリーである長女イヴァンカ補佐官と、その夫であるクシュナー氏に絶大な信頼をおき、WWEでのマクマホン・ファミリーさながら、ホワイトハウスを家族経営してしまうトランプ大統領。トランプ・ファミリーのニュースは、トンデモ見出しで知られる『東京スポーツ』にも大きく掲載された。もはや、「一般紙=世の中」と「東スポ=プロレス」の境界線はなくなってきているのだ。
世の中がプロレス化してきたから
「プロレス」が謎を解くツールに
今日では、大衆の「かぎりない欲求」を満たそうとするあまり、メインストリームに立つ政治の担い手までが、プロレス的(エンターテイナー的)な行動様式をとることもしばしば見受けられる。
宝島社新書『プロレスを見れば世の中がわかる』(2017年6月26日発売)のなかで著者プチ鹿島氏は、「トランプの大統領就任」「安倍内閣のメディア対策」「清水富美加の東京ドーム集会登場」など、世間の側がプロレスに寄せてきていると指摘する。
「世の中をプロレスで学んだ見方で見てみる、というのはプロレスに親しんだものの勝手な屁理屈だし、いってみれば所詮カウンター。
『なるほどそういう見方があったのか』と珍しがられているうちはまだいいけど、『ああプロレスで学んでおいて良かった』と本気で思ってしまうことがこのところ頻発している」というのだ。
では、不可解な現代を読み解く鍵はどこにあるのか?
1990年代のプロレス多団体時代に多くの価値観、ものの見方を学んだ鹿島氏は、1990年代のプロレスにこそ、現代を読み解くヒントがあるという。
「『活字プロレス』という言葉が輝いたように、『どう報じるか』『どう解釈するか』『どう行間を読むか』がファンにとっては命題でした。
後年、リテラシーという言葉を知ったけど、そんなものはプロレスファンは皆、あの頃に習得済みです」
プロレスに親しんできた者にとって、世の中は『どこかで見たことのある風景』で満ちあふれているのだ。