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「会社のお局の行動のすべてが嫌いです」という女性からの切実なお悩み。原田さんからのアドバイスとは…?作家・哲学ナビゲーターとして、芸能活動から小説執筆までマルチな活躍を行う、原田まりるさんが、人間関係で悩めるmichill読者の声に寄り添い「生きやすくなるためのヒント」を一緒に考えるシリーズ第3回
会社のお局が嫌いです。まずは、トイレが長いのが許せません。それと非常階段で、からあげ棒を食べている姿をよく見かけるのですが、なぜ自席で食べないのか?おやつを食べている姿を見られるのが嫌なら食べなければいいのでは?それとも匂いの配慮なのか?それなら休憩スペースで食べればいいのでは?と、彼女の行動にイライラしてしまいます。電話を受ける際も、ワントーンどころか3トーンくらい高い声で受けていて意味がわかりません。同じチームで働く上では、むげにできないので困ったものです。(34歳・エダ・事務)
職場に一人くらいは、「この人と合わないわー」と感じる人はいるものですよね。特に女性の場合は誰か「共通の敵」をつくることによって、共有感をもち、仲を深めていく傾向にあることも多いと思います。しかし「この人合わない」=「敵」と安直に結びつける発想は危険だと思います。
日本では、同じ方向を向いて同じ共通認識をもつことが正しい、自分と違う意見の人は悪だと思いこむような発想があるかと思いますが、意見が違う人が悪だと考えてしまうのはあまりに安直な発想だと思います。
意見が違ったり、意味がわからない(理解できない)からこそ、相手の主張から学べることも多いのです。ソクラテスの有名な言葉「無知の知」にもあるよう、相手は「自分とは違う価値観で生きている」のですから、相手を「理解できない」のは、自分が無知だからです。
相手を尊重するべきといっているのではなく、自分とはまったく違う価値観の人を見たら「なぜ自分には理解できないのか?」を知るチャンスでもあるのです。
また、からあげ棒を非常階段で食べるのが気に食わない、というのは典型的な「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」理論です。社内で評判がよく、自分のことを慕ってくれているイケメン部下が非常階段でからあげ棒を食べていたら「憎い」どころか「萌えポイント」だと思います。
つまり、お局がしているから「からあげ棒を非常階段で食べる行為」が憎いのであって、その行動自体に「悪」が潜んでいるわけではありません。まず、「お局のやっていることは、受け入れたくない」という目的が前提にあるからこそ、「からあげ棒を食べていることすら憎い」のです。
お局をどうにかするということよりも、エダさんが「日常のイライラをどう処理するか」がこの問題を解決するのに重要だと思われます。
エダさんのおっしゃるとおり、職場の付き合いで無理やり付き合わないといけない、という割り切りがあるのであれば「お局に対して、イライラしたところで一秒も自分の得にはならない」と自分の感情まで割り切ることです。
自分ではどうにもならない他人の生き様に対して、イライラすることは精神的な側面から見ても、美容の側面から見ても、一銭の利にもならないので、自分の利益だけを虎視眈々と考えてもいいのではないでしょうか!
この記事のライター
原田まりる
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作家・哲学ナビゲーター1985年2月12日 京都府京都市出身哲学・性格類型論(エニアグラム)についてのテーマを中心とした執筆活動・企業研修などを行っている。「人生の意味」を追求した実存主義哲学をわかりやすくナビゲートした著書を展開。『ニーチェが京都にやってきて17歳の私に哲学のこと教えてくれた。』(ダイヤモンド出版)『私の体を鞭打つ言葉』(サンマーク出版)
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