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日本には多くの伝承や伝説が残されている。都市伝説の域を出ないものも少なくないが、なかには問答無用の“
物証”
を伴い、我々を驚かせるものもある。
たとえば、近年グーグルマップの浸透によって騒がれているのが、太古の昔にはられた巨大な結界だ。その名も「近畿の大五芒星(だいごぼうせい)」。
何はともあれ、実際に地図をご覧いただきたい。これは2000年以上前から存在する近畿周辺の霊場、聖地を結んだものだが、あまりにも見事な五芒星を示しているのがおわかりいただけるだろう。
三重・伊勢神宮。和歌山・熊野本宮大社。兵庫・伊弉諾神宮。京都・外宮豊受大神社。岐阜・伊吹山。いずれも聖地として古来より多くのエピソードを残す5つのポイントの中心には、平城京跡がある。これは何を物語るのか――?
五芒星とはもともと、古代シュメール人が祭祀目的で活用したシンボルである。その後、時代とともに東洋に伝わり、平安時代には魔除けの呪符としても使われた。
これはやはり、首都を守る結界なのか? そして、これほど巨大な五芒星を、一体どのように測量して設計したのか? いまだに謎は解けないままだ。
GHQもビビった将門公の“
見えざる力”
「近畿の大五芒星」は、教科書が教えてくれない史実の貴重な痕跡の1つだが、同様の“
物証”
は首都圏にもある。東京千代田区大手町、オフィス街のど真ん中に不自然に残る、「平将門の首塚」だ。その怨念がもたらしたとされる逸話の数々を、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。
平安時代中期、時の天皇に対する朝敵として名を馳せた関東の豪族・平将門だったが、最終的には討ち取られ、さらし首にされるという非業の死を遂げる。
ところが、京都四条で首がさらされ始めて3日目の夜。将門の首は空高く舞い上がり、関東へ向けて飛び去ったとの伝説が残されている。その首が落ちたとされる場所の1つが、大手町にある首塚なのだ。
昭和以降、都市開発の煽りで何度となく撤去作業が行われるも、そのつど不自然な事故が頻発し、今日まで残されてきたこの首塚。かつてこの地に大蔵省庁舎が置かれた際には、庁舎が落雷で焼け、時の大蔵大臣が病死するという不幸の連鎖に見舞われた。戦後にGHQが造成工事に着手した際には、重機が横転して犠牲者が出た。こうしたエピソードの数々はいずれも記録に残る事実であることが、編集部の取材で明らかになっている。
しかし見方を変えれば、それだけ強い力を持つ神様であるとも言える。首1つになっても帰りたいと強く願ったこの街に、将門公は今も強力な加護をもたらしているのかもしれない。
修行僧たちが彫り進めた謎の大洞窟
多くの謎を残す“
物証”
はまだまだある。古都として様々な歴史を残す鎌倉からほど近く、室町時代に開創された定泉寺の境内には、総延長1キロに及ぶ大洞窟が口を開けている。
地元では「田谷の洞窟」で知られるこの洞窟は、かつて真言密教の修行窟として、ノミで修行僧が彫り進めたものと推察される。
©岡村智明
※洞窟内は撮影禁止。特別な許可を得て撮影しています
正式名称は「田谷山瑜伽洞(たやさんゆがどう)」。瑜伽とはヨガ、つまり修行のための伽藍として設けられたと言われるが、真相は定かではない。
しかし、ロウソクの灯りを頼りに暗い洞窟内を進んでいくと、壁や天井におびただしい数の仏像や梵字、仏画が彫られているのが確認でき、今にも修行僧たちの息遣いが聞こえてきそうな雰囲気である。
さらに洞窟内には、秩父や西国、坂東、さらには四国まで含めた全188ヶ所の札所が納められ、一巡すれば全国の巡礼を代替できることがわかっている。
便宜上、ミステリーという言葉でくくってはいるが、いずれも現代に多くの謎を残すスポットばかりをレポートしたTJ MOOK『驚き発見! 日本のミステリー・ゾーン』。“
物証”
主義でひもとく、もう1つの歴史の痕跡にぜひ触れてほしい。
この記事のライター
宝島オンライン
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