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新しい住まいのカタチ[6] 町田康さん〜二地域居住〜

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当記事はSUUMOジャーナルの提供記事です

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新しい住まいのカタチ[6] 町田康さん〜二地域居住〜

独特の文体とユーモアで知られる作家町田康さん。熱海と東京で二拠点生活をはじめて10年になるといいます。東京都心のマンションと熱海の日本家屋をいったり来たり。「根っこには広い家への憧れがある」といいつつも、ミニマムな暮らしにも憧れるとか。作品さながらの破天荒な住まい歴とこれからの話を伺いました。【連載】
家を買うか借りるか、住むなら都心か地方か。永遠のテーマともいえる’住まいのあり方’を考える連載です。ひと昔前までは、「郊外に庭付き新築一戸建てを買う」という、住まいのアタリマエがありました。でも、ひとり暮らしや夫婦共働きが増え、都心部ではタワーマンションが建設ラッシュ。一方で、地方移住が関心を集めていたり、古民家リノベが注目されたり。住まいのアタリマエは時代とともに変わり、そしてひとつである必要もありません。この連載では家を買うor借りる、住むのは都会か地方か、その暮らし方について、識者のみなさんと探っていきます。四畳半のアパートに転がり込み、ドラムセットを置いて暮らす

「太宰治は生涯、自分の住まいには無頓着でしたが、室生犀星(むろう さいせい)はかなり家には凝ったようです。太宰は裕福な家庭だったので立派な屋敷で育ちましたが、室生は幼少期が悲惨でしたから、家に思い入れがあったんでしょうね。子どものころの憧れや執着というのは、その後の人生に大きく影響するように思います」と話す町田さん。ご自身は大阪の団地育ちで、自分の部屋は3畳ほどと狭く、夜自由に音楽を聴くなどがしづらかった、そんな経験からか「広くてゆったりした家」に漠たる憧れがあったといいます。

「大人になって、まず転がり込んだのが、東京の成増の木造アパート。友人が4畳半の部屋を借りていたのですが、隣が空いていたので、そこで暮らしていました(笑)」。もちろん、カギもなければ、風呂などもナシ。立て付けも悪く、建具の窓ガラスが壊れていてレコードショップの袋をガムテープで貼って修繕してあったと振り返ります。

「当時はバンド活動をしていて、基本はラウドミュージック(※編集部註:ロックの一種)なのでスタジオで練習していたのですが、ドラムセットを置いていましたね。4畳半なので、ドラムセットの片隅で眠っている感じです」(町田さん、以下同)

「悲惨」だといいながらも、20代そこそこの若さだったということもあり、「青春」の臭いがします。
「その後、20歳過ぎくらいだったかな、現在の妻となる女性と暮らしています。だいたい2年くらいのスパンで5軒くらい引越したかな。別に引越しが好きとかではなく、単純に金がなかったから。まだ80年代で貸し手も強気だったし、家賃も今よりも高かったように思います」

東京郊外の暮らしていたまちでは若い夫婦とその子どもが多く、平日に男性が昼間一人ぷらぷらと歩いていた様子はだいぶ浮いていた、と振り返ります。

「ただね、同じマンションに同じように平日の昼間っからぷらぷらしている男性がいたんですよ。その人ものちに作家としてデビューしたみたいです」。若き才能が花開くまでの修行を思わせるエピソードです。

猫のために引越し!? さらに犬たちも仲間入り

郊外暮らしが長かった町田さんが、東京都心の六本木にオフィス兼自宅を構えたのは、やはり利便性を考えてのこと。

「取材や人との打ち合わせが増えたこともあり、毎日、東京都心に出なくてはならない。すると、日々、移動の時間が長くなってしまい、これはもう高くて狭くても都心に住もうと決めて。結局、六本木のマンションを購入しました」(町田さん)。書店や家電量販店が意外と少ないという弱点がありつつも、好きだった麻布十番商店街が近く、10年くらい住んだようです。

ところが、思わぬところから、転居せざるを得ない事情になっていきます。
「猫がですね、次々とボランティアさんからやってきまして。“預かりボランティア”というのですが、貰い手がつくまで、預かって世話をすることになってしまったんです。預かった猫たちはウイルスを持っているので自宅の猫と別にしなくてはいけない。そのころ、自宅と仕事場を分けて暮らしていて、預かった猫たちは仕事場にいたんですが、仕事ではなく猫のお世話のために、仕事場にいかなくてはならない状況が続きまして。猫は高齢のうえに、病気持ちでそうそう新しい飼い主は見つからない。そのため、大きな家に転居しようという話になったのです」

だが、9匹の猫たちと平穏に暮らしつつ、作家として仕事をする空間を都心に確保するのは容易でなく、「平気で20億円とかする(笑)」。そのため、行き着いたのは別荘エリアである熱海の日本家屋だったそう。

「伊豆高原や熱海で複数の物件を見学したのですが、自分は、家で執筆生活するので、家で過ごす時間が長い。自宅は考えを生み出す場所、ファクトリー的な場所でもあります。単純に執筆するだけだったら、都心のホテルに缶詰、というのがいちばん効率いいのかもしれませんが。犬猫のお世話も付随してくるので、今は熱海で暮らしつつ、必要に応じて東京都心で仕事する。この二拠点生活に落ち着いています」

そう、転居時は猫9匹だったものの、浜辺で出会った犬も町田家に仲間入りするなどし、現在は犬4匹、猫7匹と暮らしている。

【画像1】預かった猫のお世話のために、六本木から熱海へ移住した町田さん。今から約10年前のことだ(写真撮影/飯田照明)

【画像1】預かった猫のお世話のために、六本木から熱海へ移住した町田さん。今から約10年前のことだ(写真撮影/飯田照明)

断捨離やミニマムな暮らしにも興味あり。これからの住まい像は?

古いものが好き、日本家屋が好きという町田さんですが、熱海に暮らして10年がたち、これからの住まいについての心境について聞いてみました。

「先のことは分からないですが」と前置きしつつ、「やっぱり日本家屋は、段差もあるし、冬は寒い。年を重ねてから住み続けるのは、難しい側面もあると思いますね。都心に戻るという選択肢もあるし、大阪に戻る、まったく縁がなかった岡山に行っているかもしれません」といいます。

「住む場所は、本当にたまたま、偶然のようなもの。自分が選ぶというスタンスよりも、流れ着いたところに、居させてもらっている感覚が近いですね」。移住という大げさなものではなく、縁のあるところに行き着く、という自然な流れなのかもしれせん。

今、住まいで興味のある事柄などはあるのでしょうか。

「本資料を整理したいですね(笑)。熱海の家は、造り付けの本棚があるんですが、長年放置し過ぎて何が何やら見つけられない。もともと、あんまりモノを持つのは好きではないので。作家は、紙とえんぴつさえあればできる仕事なので、やろうと思えばできるのでしょうし、ただ実行にならないだけで。服も靴もたくさんありますが、処分してなくて。みんなどうしてんのやろうと思います。

よく、高齢者がモノを捨てることへの抵抗がある、といいますが、あの根っこにあるのは、死への恐怖なのだと思っています。例えば江ノ島で買ったガラクタがあるとして、それを捨ててしまうと、江ノ島に行った事実さえもなくなってしまう。そうして無意識的に自分の存在がなくなることが怖いのでしょうね。もちろん、貧しかった時代に育った価値観もあるでしょうし、他の人は忘れても、せめて自分だけでも憶えていたい。そんな思いが根底にある気がします」と作家ならではの鋭い洞察も。これからも、その独自の目線で、住まいとそこに住む人間の奥にあるものをさっと映しとっていくのかもしれません。

●取材協力
町田康 
1962年大阪生まれ。町田町蔵の名前で歌手活動をはじめ、1981年にレコードデビュー。1996年、初の小説『くっすん大黒』を発表、2000年に『きれぎれ』で芥川賞、詩集『土間の四十八滝』で萩原朔太郎賞受賞。ほかに、猫との暮らしを描いた『猫にかまけて』、リフォームに至る状況を描いた『餓鬼道巡行』などがある。●参考
『リフォームの爆発』/幻冬舎

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この記事のライター

SUUMO

『SUUMOジャーナル』は、魅力的な街、進化する住宅、多様化する暮らし方、生活の創意工夫、ほしい暮らしを手に入れた人々の話、それらを実現するためのノウハウ・お金の最新事情など。住まいと暮らしの“いま”と“これから= 未来にある普通のもの”の情報をぎっしり詰め込んで、皆さんにひとつでも多くの、選択肢をお伝えしたいと思っています。

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