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東京都心から電車で1時間ちょっと、神奈川県北西部に位置する「藤野」地区。山深い一帯は、いつしか「芸術のまち」としてその名を知られるようになった。地方の過疎化が進む昨今にあって、藤野には毎年、さまざまなアーティストが移住してきているという。彼らは何に魅せられ、この場所へやってくるのか? そもそも「芸術のまち」とは、どんな街なのか? 自治体や移住者に取材した。
素朴な里山風景の中に、アート作品が点在
ひと駅先は山梨県という、県境近くに位置する「藤野駅」。北に陣馬山(じんばさん)、少し歩くと雄大な相模湖を望み、山の傾斜には茶畑が広がる。素朴で美しい、里山ならではの風景に心が和む。
そんな藤野一帯では、およそ30年前から「芸術のまち」を掲げ、アートを軸とした地域活性化の取り組みをスタート。それ自体はよくある地域おこしだが、藤野がすごいのはそれが一過性の企画に終わらず、現在に至るまで続き、さらに移住者が増え続けている点だ。
まずはその取り組みの背景について、藤野観光協会の佐藤さんに聞いた。
「藤野はもともと芸術家とゆかりの深い土地。戦時中に疎開してきた画家たちが豊かな自然環境を気に入り、創作活動の拠点として多くの作品を残しました。しかし、その後、少子高齢化や人口流出により過疎化が懸念されるようになり、地域活性化を目的として1986年にスタートしたのが『藤野ふるさと芸術村構想』です。この時から街をあげてのアートイベントなどが行われるようになり、それが現在まで続いています。その象徴となっているのが『緑のラブレター』。巨大なラブレターを模した野外アート作品で、文字通り緑の山並みの中にひょっこりと見えています。その周りにはほかにも多くの作品が点在していて、芸術が生活の一部になっている藤野ならではのエリアといえますね」(佐藤さん、以下同)
そうしたイベントの開催や作品の展示以外にも、アートを特別なものでなく「身近な文化」として根付かせるための取り組みも行ってきたという。
「例えば、2005年には芸術を通して学校教育を行う私立校『シュタイナー学園』を誘致しました。小・中・高と12年間の一貫教育で、美術などの科目はもちろん、あらゆる授業に音楽や動き、色彩などの芸術的な要素を含んでいます。全ての子どもが本来もっている芸術への衝動を育む独自のカリキュラムが評判で、わが子をこの学校へ通わせたいと移り住んできた方も少なくありません」
こうしたアートを軸にした街づくりに加え、藤野には全国に先駆けた先進的な取り組みが数多い。
「まず、1996年に始まったのが『パーマカルチャー運動』。パーマネント(永久的な)とアグリカルチャー(農業)を組み合わせた造語です。農業を軸に、生活や文化を持続可能なものにしようという運動で、自然志向や自給自足といった暮らしを求める若い移住者を呼び込みました。
また、2009年からは『トランジション藤野』という運動もスタートしています。こちらは大量消費されるエネルギーから再生可能なエネルギーにトランジット(移行)していこうという動きです。具体的には、発電システムを組み立てて地域で電力をシェアしたり、森を再生する活動をしています。2つとも海外ではすでにポピュラーな運動でしたが、日本では藤野が先駆け。その後、日本全国に広がっていきました」
佐藤さんは「かつての日本のように、経済成長すれば全てが解決する時代は限界にきている」と語る。持続可能な社会をつくるには、これまでの価値観や生き方を大きく見直すべき。そんな藤野の理念に共感する若者やアーティストが移り住んできた結果、限界集落の危機に直面していた地域は見事に復興。今では移住者の数がトータルで250世帯、400人を超えているという。
移住者が語る藤野の魅力「老若男女がいつもワクワクしている」移住者の方にも話を聞いてみよう。2016年11月に藤野へやってきた星野諭さん(38歳)。一級建築士、地域コーディネーター、さらには子どもたちに遊びを教える「プレイワーカー(あそび師)」など、その活動は多岐にわたる。
―― なぜ、藤野に移住しようと思われたのですか?
「もともと『芸術のまち』や『シュタイナー学園』、『パーマカルチャー』などを通じて藤野という地域の存在は知っていました。でも、実際に訪れてみると、未知の顔がたくさんあって、どっぷりハマってしまったんです。特に、都市部からそう遠くないのに自然があふれているところ、出会う人、出会う人全てがイキイキしているところが印象的でしたね。ただ、移住を決めたのは直観です。言葉では説明できない何かを感じたんです」(星野さん、以下同)
―― 移住してまだ数カ月とのことですが、実際に住んでみると、外から見ていたときとギャップを感じる部分もあるんじゃないですか?
「ギャップというか、より一層、地域のおもしろさを感じるようになりました。藤野の魅力を一言で表すと『自然×人間力=∞(無限大)』。住む人と自然が、絶妙にハーモニーを奏でている感じがするんですよね。それから、本当に楽しい大人が多い。若い人に限らず、老若男女がいつもワクワクしていて、みんながおもしろいことを考えては実行しているんです。それが個々での活動だけに終わらず、地域でゆるくつながっていく。藤野には中心のない有機的な、いわばアメーバのようなコミュニティが存在している気がします。これは、藤野に暮らす人々が一見バラバラのようでいて、どこか共通する部分があるからだと思います」
―― では、星野さん自身がこれから藤野でやってみたい「おもしろいこと」ってなんですか?
「僕は2008年まで地域コーディネーターとして、観光やまちづくりなどの仕事をしていました。今後はその経験を活かし、地域全体で子どもたちを見守り、寄り添う街づくりにかかわれたらと思っています。
子どもにとっての『遊び』って、イコール『生きること』だと思うんですよ。それなのに、今の日本には子どもの遊び場がどんどん少なくなっている。街に子どもの居場所がないから、地域で子どもを見守る関係も希薄になってきているのではないでしょうか」
「例えば、今は『移動式子ども基地』という遊び場を“出前”する活動や、遊びにまつわるイベントの仕掛けなどを行っています。これからは少人数制キャンプや宿泊型親子ワークショップなど、都市部の子どもたちが藤野の自然に触れ合える機会もつくっていきたいですね」
星野さんのように藤野が好きで移り住んだ人が地域のために何かを始め、その活動によってさらに魅力が向上していく。移住者がさらなる移住者を呼び込むような、良い循環が生まれているようだ。
なお、藤野観光協会では今後も移住者を呼び込むための施策を続けていくという。
「特に力を入れていきたいのが『住まい』。地域に点在する空き家をリフォームして、住宅環境を整えていきたいと考えています。外観デザインも新しく、風景になじむものに改装していく予定です」
また、今後は移住者向けのウェブサイトも立ち上げ、随時募集を受け付けていくとのこと。
「自然」という資源と「アート」という文化を融合させ、地域の未来をつないだ藤野の取り組み。それは過疎化に苦しむ自治体にとって、一つのモデルケースになり得るかもしれない。
●取材協力この記事のライター
SUUMO
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『SUUMOジャーナル』は、魅力的な街、進化する住宅、多様化する暮らし方、生活の創意工夫、ほしい暮らしを手に入れた人々の話、それらを実現するためのノウハウ・お金の最新事情など。住まいと暮らしの“いま”と“これから= 未来にある普通のもの”の情報をぎっしり詰め込んで、皆さんにひとつでも多くの、選択肢をお伝えしたいと思っています。
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