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【能登半島】震災・豪雨で被災「義務感の支援でなく、楽しんで”また来たい”と思ってほしい」。移住の20代男性が、いまホテル・喫茶バーをオープンする理由 珠洲市

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当記事はSUUMOジャーナルの提供記事です

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2024年9月に発生した豪雨災害の後、支援物資を喫茶BAR「惚惚(ほれぼれ)」に集めて住民の皆さんへ配布準備をする畠山さん(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

2024年7月、能登半島の珠洲市に20代の若い移住者が運営するホテルとカフェがオープンした。その名も、ホテル「notonowa(のとのわ)」と喫茶BAR「惚惚(ほれぼれ)」。2024年元日に能登地方を襲った大地震、9月に起きた記録的な豪雨の被害を受けつつも、地域内外から訪れる人の心のよりどころとなり、支援活動の拠点としても、地域に欠かせない場として機能している。今回は、ホテルとカフェを運営する畠山陸(はたけやまりく)さんに、オンラインで取材。ホテルとカフェをオープンするまでの道のりや、今の能登の状況、今後の展望などを語ってもらった。

奥能登の里山・里海と過ごすリノベーションホテル

金沢市内から、車でおよそ2時間。のと里山空港からは、車でおよそ40分。穏やかな富山湾の海景色が一望できる場所に、「notonowa」がある。

田んぼに、富山湾。見晴らしのいい景色が眼下にひろがる(画像提供/畠山陸)

田んぼに、富山湾。見晴らしのいい景色が眼下にひろがる(画像提供/畠山陸)

「notonowa」は、2024年7月にオープンしたばかり。かつてはモーテルだった2階建ての建物をリノベーションし、内装や照明などのデザインは畠山さんが手がけたそう。客室は7室あり、窓からは能登の里山・里海の風景がひろがる。現在ホテルは、復興工事関係者の方の宿泊場所として提供しており、一般向けには予約を受け付けていない。

客室では、幻想的なサンセットタイムを過ごすことができる(画像提供/畠山陸)

客室では、幻想的なサンセットタイムを過ごすことができる(画像提供/畠山陸)

1階は一般客も立ち寄れる喫茶BAR「惚惚(ほれぼれ)」を運営しており、「notonowa」がある奥能登エリアに関わる入口・出口のような存在で、地域内外の人が訪れている。不定期でランチ営業のみ行っているので、ぜひ機会をねらって訪れてみてほしい。いろんな視点で、能登の素顔にふれるきっかけになるはずだ。

「notonowa」の1階にある喫茶BAR「惚惚」(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

「notonowa」の1階にある喫茶BAR「惚惚」(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

落ち着きのある空間がなんとも心地いい(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

落ち着きのある空間がなんとも心地いい(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

復興にむけて旗を立てる。震災を乗り越えて、5カ月遅れのオープン

当初、「notonowa」は2024年2月の開業を予定していた。工事も終盤に差しかかったところ、元日に地震が発生。幸いにも倒壊の被害は免れたものの、内装の一部が崩れ落ち、道路が寸断され資材の運び入れが困難になった。当時の状況を、畠山さんはこう語る。

「notonowaがある珠洲市上戸町に、僕が住む家もあるんですけど、地震が起きた元日は、弟と一緒に家にいたんです。幸いにも家に大きな被害はなかったんですが、数百メートル先では土砂崩れがあったり、地域のあちこちで家屋の倒壊があったりと、地域全体の被害は甚大なものでした」

オンラインで取材にご対応いただいた畠山陸さん(写真/SUUMO編集部)

オンラインで取材にご対応いただいた畠山陸さん(写真/SUUMO編集部)

震災の影響で、ホテルのオープン準備は一時ストップ。畠山さんは、支援活動と能登を盛り上げるための企画団体「惚惚倶楽部 (hb club)」を立ち上げ、復興への資金集めをしながら、自身も支援活動に尽力した。

「4月中旬ぐらいまではずっと支援活動をしていましたね。自宅や集会所など、最低限生活できる拠点の整備を行い、ボランティアの受け入れ場所として運営したり、二次避難の人を車に乗せて金沢へ送り届けたり。金沢で物資を買い集めてまた片道7~8時間かけて帰って。自分の時間も体力も、お金も、全てを注ぎ込んでいました」

2024年9月に発生した豪雨災害の後、支援物資を喫茶BAR「惚惚」に集めて住民の皆さんへ配布準備をする畠山さん(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

2024年9月に発生した豪雨災害の後、支援物資を喫茶BAR「惚惚」に集めて住民の皆さんへ配布準備をする畠山さん(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

お弁当を配布してまわる畠山さん(画像提供/中村滉基 @koki__nakamura )

お弁当を配布してまわる畠山さん(画像提供/中村滉基 @koki__nakamura )

畠山さんは北海道出身。珠洲市に移住した身だ。大地震を経験して、実家や他の地域へ避難する選択肢もあったはずだが、能登に留まって支援活動に没頭した理由、その原動力はなんだったのか。畠山さんからは、こんな言葉が返ってきた。

「当事者でいたいなと、強く思ったんです。被災者として、この地域に住まう人として。支援活動をするなかで、同じ石川県内でも金沢と能登では、被害状況も日常のあり方にも乖離があって、それを目の当たりにした時に、自分は当事者でいたいなと。正直、一時的に金沢に身を移すことも考えたし、こんな状況では事業なんてできないと諦めそうになったこともありましたけど。

僕が惚れた能登の自然や風土、地域の人たちが守ってきた文化、ここでの生き方を想うと、この地を離れるという選択肢はなくて。一生関わっていきたいから、自分が納得するまで、この地で支援活動はやると決めました」

生活の再建を進めるとともに、ホテルの工事も再開し、2024年6月にプレオープン。翌7月に開業を迎えた。この場所から、能登に関わる人の輪がひろがっていくように。「能登=被災地・かわいそう」というイメージではなく、能登で暮らし、活動している人たちの活力が、地域の外へも波紋のようにひろがっていくように。そんな意味・願いを込めて、「notonowa」と名付けた。

(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

記録的な豪雨が能登を襲う。「心がぽっきりと折れました」

開業から2カ月あまりが経過した、9月21日。記録的な大雨が能登半島を襲った。記憶に新しい人も多いだろう、「令和6年奥能登豪雨」。大地震に、豪雨に、「なぜまた能登で……」とショックを受けた人も多いのではないか。

その日の様子を、畠山さんは「過去で一番の大雨をくらった」と振り返る。

「朝から喫茶BAR「惚惚」に出勤して、営業の準備をしていました。雨だったので、あんまりお客さんは来ないかもなと思っていたら、解体業者さんやカフェに立ち寄った方から、僕たちがいるエリアが孤立してるっていうことを教えてもらって。「惚惚」から僕の家まで車で3分くらいなんですが、その間で道路が冠水していて通行止めの状態。

町外や金沢へ行くにも主要な道路なので、しばらくお店で待機するしかありませんでした。幸いにも、水も出るし食材もあるし、電気もつく。不便はなかったので、夕方までお店にいました」

(写真/SUUMO編集部)

(写真/SUUMO編集部)

「お店で待機しながら、報道の情報をチェックしている時に僕の家が映っていて。家から10秒くらいで海に行けるような、オーシャンビューのきれいな景色が自慢の家だったんですけど、家の玄関前が崖崩れのようになっていて。「あ、本当にやばいんだ」っていうのを自覚しました。

道路も通れるようになって家を確認しに行ったところ、やっぱりニュースの通りで。浄化槽も流されてしまっていたので、これでは生活ができないなと。とりあえずその日は最低限の荷物を乗せてお店に戻り、お店で寝ることにしました。あれから1週間ほど経ちましたが、今もお店で寝泊まりしている状態です(※取材は9月27日に実施)」

半壊指定を受けた畠山さんの自宅(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

半壊指定を受けた畠山さんの自宅(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

畠山さんの家から見える景色。家の前を流れる川が氾濫して道路が崩れてしまった(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

畠山さんの家から見える景色。家の前を流れる川が氾濫して道路が崩れてしまった(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

町内の風景。全壊した家屋があちこちで見受けられる(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

町内の風景。全壊した家屋があちこちで見受けられる(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

「notonowa」と「惚惚」に大きな被害はなかったため、営業は継続。とはいえ、やっとの想いで開業できたというのに、また天災によって状況が一変してしまった。自宅も被害を受け、暮らしもままならない。今の正直な気持ちはと聞くと、「僕も含めて、心が折れた人は結構多いと思います」と畠山さんは答えた。

「元日の震災から、やっと再建してきたというか。やっと、能登に行ってみても良いなと思える空気感が出てきていたと思うんですけど、それが、今回の豪雨でまたネガティブな印象になってしまった気がして。とりあえず能登からは出た方がいい、能登には近づかない方がいい、みたいな。

そうなってしまうのは一番不本意ではあったんですけど、そう見られざるを得なくなってしまったので、心が折れた人が多いんじゃないかなと思います。僕自身も、今回は本当にぽっきりいった感覚はあるので。

とはいえ、やっぱり生きていくしかない。やるしかない。立ち直るとはいかないですけど、僕もやれることはやりたいなって思うので」

喫茶BAR「惚惚」には、いろんな人が集う(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

喫茶BAR「惚惚」には、いろんな人が集う(画像提供/川下匠 @takk_the_slydog )

楽しくないと、続かない。継続的に、能登と関わってもらえるきっかけになれたら

現在は、お店で寝泊まりしながら、不定期でカフェをオープンし、お店を支援物資の受け入れと配布の拠点として地域にひらいているそう。最後に、「notonowa」や「惚惚」が地域にとってどのような存在になっていけたら良いのか、畠山さんの今後にむけた想いや展望をうかがった。

「惚惚は飲食店なんですが、ライフラインとして食を提供するというよりは、ここに暮らす人や、能登に訪れた人にとって楽しみの場でありたいと思っています。地元の人が、ちょっとひと息つきたい時にふらっと立ち寄れたり、外から訪れた人にとってもお気に入りの場所になったり、誰かとつながれる入口になったり。

被災地について話すときって、どうしてもネガティブな話になりがちだと思うんですけど、僕たちは次の話をしたい。ここから、どう面白くできるか。どんな未来を描けるのか」

(写真/SUUMO編集部)

(写真/SUUMO編集部)

支援物資の受け入れや配布を行っている中で、必要な物資や人員は同じものではなく、刻一刻と変わっていくと話す畠山さん。物資を1度送って終わり、1度ボランティアに参加して終わり、ではなく、継続的な支援が求められていると感じている。

「きっと皆さんがニュースを見て抱いている能登の印象と、本当の能登の姿は乖離があると思います。立ち直ったとは言えないし、僕も含めて当たり前の生活を失った人も多くいる。甚大な被害があることは事実だけど、それだけじゃない。能登で日々活動していると、ネガティブなイメージが先行してしまっているなと思います。

能登に来てもらえたら、きっと僕が伝えたいと思っていることが分かってもらえるんじゃないかと思います。もし支援に来てくださる人がいるとしたら、できれば1回きりではなく、継続的に来てもらえたらうれしいですね。そのためには、「楽しい」と思える気持ちがないと、なかなか続かないと思うんです。「助ける」というスタンスだけだと、きっと大変だから。

僕も含めて、この地域にいる人はみんな、「能登に来てもらいたい」と思っているし、「また来てね」って言いたい。その楽しみを提供するひとつの場として、「notonowa」や「惚惚」が存在し続けられたらと思います」

畠山さんの支援活動の様子や、今後に向けた思いなどを収録したドキュメンタリー映像がYouTubeで公開されています。ぜひそちらもご覧ください。

【能登半島地震】ドキュメンター「Lively 」(映像制作/中村滉基 @koki__nakamura)この場から、きっと、つぎの能登がひらいていく(画像提供/畠山陸)

この場から、きっと、つぎの能登がひらいていく(画像提供/畠山陸)

畠山さんが運営する喫茶BAR「惚惚(ほれぼれ)」のInstagramアカウントはこちら
CafeBar&Kitchen horebore(hb) 惚惚 | 能登珠洲
能登半島地震の支援活動については下記のInstagramアカウントで発信中
惚惚倶楽部 | hb club

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この記事のライター

SUUMO

『SUUMOジャーナル』は、魅力的な街、進化する住宅、多様化する暮らし方、生活の創意工夫、ほしい暮らしを手に入れた人々の話、それらを実現するためのノウハウ・お金の最新事情など。住まいと暮らしの“いま”と“これから= 未来にある普通のもの”の情報をぎっしり詰め込んで、皆さんにひとつでも多くの、選択肢をお伝えしたいと思っています。

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