/
桜の開花の声を聞くころ、毎年と言っていいほど江戸の桜の名所を紹介している。今回紹介する桜の名所は、冒頭画像の浮世絵の場所だ。まっすぐに並んだ桜が満開だ。実はここ、江戸の「吉原遊郭」だ。美しく咲くのには理由がある。なぜかというと……。連載【江戸の知恵に学ぶ街と暮らし】
落語・歌舞伎好きの住宅ジャーナリストが、江戸時代の知恵を参考に、現代の街や暮らしについて考えようという連載です。一夜にして桜の名所になる、吉原遊郭
江戸の桜の名所と言えば、上野の寛永寺(かんえいじ)、王子の飛鳥山、向島の隅田堤などが有名で、今もなお名所として引き継がれている。ところが、今では忘れ去られた桜の名所がある。それが「吉原遊郭」だ。
吉原と一口に言っても、吉原(元吉原)と新吉原がある。
江戸に幕府公認の遊郭「吉原」が誕生したのは、元和3年(1617年)のこと。葦屋町東側隣接地(現在の日本橋人形町2・3丁目辺り)に開設された。当時は湿地帯だったので葦原(よしわら)と名付けられ、その後「吉原」になったといわれている。
幕府が許可を出すときには「傾城(けいせい)町」という名称が使われた。遊女も傾城と呼ばれたりするが、城を傾けるほどお金を使わせるということだ。
その後吉原は発展を続けるが、明暦2年(1656年)に、幕府から浅草にある浅草寺の北側の千束(せんぞく)村に移転を命じられる。その辺りは、当時は浅草田んぼと呼ばれる田園地帯で、そんなに遠くては営業にならないと反対の嘆願を出すものの、明暦3年の大火もあって移転し、「新吉原」が誕生する。
以後約300年、昭和33年(1958年)に廃止されるまで、随一の遊郭として歴史を刻むことになる。
新吉原は、東京ドーム2つ分ほどの広さの長方形の土地で、周囲は黒板塀で取り囲まれ、外に「お歯黒(おはぐろ)どぶ」と呼ぶ堀で囲うようになっていた。そのため、出入り口は「大門(おおもん)」と呼ばれる1カ所だけ。
この大門を入ると「仲ノ町」というメインストリートが、およそ245mの長さで続いている。
旧暦の3月1日(今の3月末ごろ)になると、この仲ノ町の通りの中央に、植木職人が桜の木を持ち込んで植えた。『江戸名所花暦』には、千本植えたと書かれているが、突如、美しい桜並木が出現するのだ。
この時期には、江戸っ子だけでなく、地方からの観光客や参勤交代の武士などが大勢見物に訪れ、葉桜になっても見物客は絶えなかったという。花見の季節が終わると、また別の花を植え、お盆には灯籠(とうろう)を飾りと凝りに凝っていた吉原は、江戸のアミューズメントパークだったのだ。
吉原の桜と言えば、歌舞伎十八番「助六由縁江戸桜(すけろくゆかりのえどざくら)」吉原の遊郭を舞台にした歌舞伎や落語は多い。それだけ関心が高かったということだ。
しかし、桜といえばやはり「助六由縁江戸桜」(通称:助六)だろう。
ストーリーはシンプルだ。主人公は、吉原一のモテ男だが、あちこちでケンカを売る暴れん坊「花川戸助六」と、その恋人で吉原一の人気を誇る花魁(おいらん)「揚巻(あげまき)」。その二人の恋愛ドラマと、実際に起きた、日本三大仇討ちのひとつである「曽我兄弟の仇討ち」を関連づけた物語だ。
所は桜満開の新吉原「三浦屋」。揚巻の花魁道中がゆったりと登場し、後から「髭の意休(ひげのいきゅう)」と呼ばれる、金と権力を持った老人が妹分の花魁とやってくる。意休は揚巻に横恋慕しているが、揚巻は全く相手にしない。
花魁たちが店に入り、意休が残ったところへ、江戸紫の喧嘩鉢巻に黒ちりめんの着物、赤い襦袢(じゅばん)の助六がさっそうと登場。なぜか意休を怒らせるように絡んでいく。意休の子分たちも出てきて大騒ぎになるが、暴れる助六を残して皆店の中へ逃げていく。
残ったのは白酒売りと助六。この白酒売り新兵衛は助六の兄で、実は曽我十郎祐成(すけなり)、助六は実は曽我五郎時致(ときむね)。仇討ちのために変装しているのだ。兄は弟にケンカをやめるように諭すが、紛失した源氏の宝刀「友切丸(ともきりまる)」を探すために、ケンカを売って刀を抜かせていたという話を聞いて納得し、ケンカをけしかける始末。
助六の身を案じる母と揚巻が現れて、ケンカをしないように収めて母と兄は去る。そこへ、揚巻を口説こうと意休が出てくる。揚巻、助六、意休のやり取りのなかで、意休が友切丸を持っていることが分かり、いきり立つ助六。ここで芝居が終わることが多いが、最終的には、助六は意休を斬って友切丸を奪い返す。
話の筋はシンプルだが、助六の胸のすくような啖呵(タンカ)もあれば、意休の子分の弱腰ぶりや通行人とのかけあいなど滑稽な場も数多くあり、舞台の華やかさもあって、見どころの多い芝居となっている。
ちなみに、稲荷ずしとのり巻きを組み合わせた「助六寿司」は、この歌舞伎が由来になっている。諸説あるが、油揚げ(揚げ)とのり巻き(巻)で揚巻ということらしい。
さて、吉原を舞台にした落語も数多くあるのだが、満開の桜と花魁道中といった華麗なシーンが見られるのは歌舞伎ならでは。「助六」のほかには、「籠釣瓶花街酔醒(かごつるべさとのえいざめ)」(通称:籠釣瓶)も有名だ。
最近では、タモリさんが「ブラタモリ」の取材時に吉原で聞いた話を、笑福亭鶴瓶さんが「山名屋浦里」という落語にして、それを聴いた中村勘九郎さんが歌舞伎にした「廓噺山名屋浦里(さとのうわさやまなやうらざと)」がある。筆者も観劇したが、ラストの浦里(中村七之助)の花魁道中と満開の桜のシーンは素晴らしかった。
そうなると、歌舞伎座も現代の桜の名所と考えてよいだろうか?
●「江戸の知恵に学ぶ街と暮らし」シリーズで紹介した桜の名所この記事のライター
SUUMO
172
『SUUMOジャーナル』は、魅力的な街、進化する住宅、多様化する暮らし方、生活の創意工夫、ほしい暮らしを手に入れた人々の話、それらを実現するためのノウハウ・お金の最新事情など。住まいと暮らしの“いま”と“これから= 未来にある普通のもの”の情報をぎっしり詰め込んで、皆さんにひとつでも多くの、選択肢をお伝えしたいと思っています。
ライフスタイルの人気ランキング
新着
カテゴリ
公式アカウント