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「どんな人にも、自由なくつろぎ」というコンセプトのもと、2018年1月、東京都墨田区にオープンした「喫茶ランドリー」。老若男女が思い思いにくつろぎ、家事をし、自主的にイベントを開き、皆が思い思いに楽しんでいる……そんな新たな“公的空間”が注目を集めています。どんな思いでつくられたのか、オープンから1年、どんな変化があったのか、店主の田中元子さんに話をうかがいました。
どんな人にも自由なくつろぎを。通常のランドリーカフェとは一線を画す
0歳から80代まで、街のさまざまな人たちが訪れるという喫茶ランドリー。この街で生まれ育ったご近所さん、近くのマンションに暮らすママ友さんたちとキッズ、デート中の若いカップル、PCを開いて仕事をするビジネスパーソンなど、その客層はこの街の縮図そのものだそう。
レトロな雰囲気の喫茶スペースに加え、洗濯機・乾燥機、ミシンやアイロン、裁縫箱が置かれた「まちの家事室」のある店内。「喫茶」と「ランドリー」という分かりやすいストレートなネーミングから、最初店名を聞いたときは、近年各地に登場している「ランドリーカフェ」(コインランドリーにおしゃれなカフェを併設した店舗)なのだろうと思いましたが、「喫茶ランドリー」はそれとは一線を画したお店です。
「喫茶ランドリーは『自由』がコンセプト。スペースごとに、あるいはお店全体をレンタルスペースとしてお貸しするほか、お茶を飲みながら、何かやりたいことがあればどうぞ自由に使ってくださいとお話ししています」と店主の田中元子さん。
小さな「やりたい」が実現できる場所をつくりたい「喫茶ランドリーが立地するのは、かつて倉庫や町工場が立ち並んでいた街です。近年は徐々にマンションに建て替わり、人口は増えているはずなのに人通りが少ない。森下駅から徒歩5分、両国駅からも8分と利便性は悪くなく、都心へ出かけやすい立地ですが、都心などへ出かけない日は家の中で過ごしている時間が長いのでしょうね。それは、近所にふらっと立ち寄れる場所がないからだと思いました。
このお店をつくる際にモデルにしたのは、コペンハーゲンで街巡りをした際に出会ったランドリーカフェ。当時、日本でそういう施設は聞いたことがなかったのですが、そのお店では若い夫婦が洗濯しながら赤ちゃんをあやしていたり、おじさんがぼうっと過ごしていたり、子どもがおもちゃで遊んでいたり、さまざまな客層がそれぞれ好きに過ごす、日常生活が垣間見られる場所でした。この街にはそんなお店のように気取らない場所が必要だと考えたのです」
「喫茶ランドリーという名前にしたのは便宜上で、ここを喫茶店としてのみ、ランドリーとしてのみ、受動的に消費するだけの場にはしたくありませんでした。ここでは誰もが自由に何かをする場にしたかったんです。
私は2015年から趣味で『パーソナル屋台』を引き、公園でコーヒーを無料で配るという活動をし、自分もパーソナル屋台で何かを振る舞いたいという人を応援しているのですが、その経験から分かったのは『人は意外といろんなことをやりたがっている』ということ。それは大規模なことではなく、日常のほんの小さなことだったりします。
でも、都会では遠慮しながら暮らしている方がとても多いんじゃないでしょうか。みんなふと『これがしたい』と心に浮かぶのに、人目や常識を気にしてしまって気持ちにフタをしてしまう。だから喫茶ランドリーを、心のフタを開けて『やりたい』が実現できる場にしようと思ったんです」
「お客様は、家事をしたり、読書室や工房として使ったり、自主的にイベントを開催したりしています。なかには、『ここで編み物してもいい?』っていうお客様や、カバンづくりが趣味で『家だと音がお隣に響くから、バッグの鋲打ちをここでさせて』という方もいらっしゃいます。普通のお店では人目が気になったり、家でも音が響くからと考えてなかなかできないことです。でもここなら『自由に過ごして』と言っているワケで、皆さん本当に自由ですよ(笑)」
人通りの少ない街にできた、多様な人々が訪れる“私設公民館”オープン当初2、3週間ほどは全く来店者がなく、田中さんは、毎日店先で「よかったら見ていって」とコーヒーを振る舞い、「自由に使ってくださいね」と語りかけ続けたといいます。ある日、地元の主婦の方たちがコーヒーを片手に家事室で談笑を始めたかと思うと、ご近所さんが通りかかるたびに「あら、久しぶり!」と呼び込んで、“井戸端会議”状態になったそう。人通りが少なかったエリアがこうして徐々に再生し、今では“私設公民館”と呼べるような、人々の交流の場となりました。
とにかく受け入れる。使い方はお客様次第その結果、さまざまな出来事が生まれました。
「大家族の忘年会に使いたい」と総勢20人でモグラ席と周辺席を貸し切った3世代5家族。旧友との再会にと焼肉パーティーを敢行した若者グループ。事務所スペースの「大テーブル席でパン生地づくりを」と集まった女性9人のご近所さんグループ。パン生地はすぐ近くの自宅で焼き、できたてのパンを他の来店者にもお裾分けして新たな交流も生まれたそうです。
「まちの家事室」でも、子どもの幼稚園バッグづくりやアイロン掛けをするママさんグループが登場し、そこから発生した「ミシンウィーク」(ミシンが得意な人たちが1週間交代で開くワークショップ)を定期開催するようになり、「つくったものをいろんな人たちに見せて交流できるのが楽しい」と手芸を楽しむ年配の女性達も増えました。家事のための場所をつくると、作業をする人同士のコミュニケーションが生まれやすいのだと気付かされます。
さらに、毎週フロア席を貸し切って、支店とネット中継しながら業務の勉強会を行う場として活用する会社も現れました。「自由に使える私設公民館」の使われ方は、まさにお客様次第。そうした使い方をされるとは、当初思っていなかったそうです。
ほかにも、ここで婚姻届を記入したカップルが2組、届けた後にここで休憩していったカップルが1組。家出してきたご近所さんを受け入れたこともあったそうです。そうした人生の大切な時期に立ち寄ろうと思える求心力や懐の深さが、この喫茶ランドリーにはあるのでしょう。
「オープン以来1年で、200以上のイベントが開催されました。こうしたスペースがあることで、わくわくする時間がもてたり、人目に触れることで人とのつながりが深まっていくのだと思います」
なぜ「喫茶ランドリー」でそのイベントを?という葛藤も喫茶ランドリーは基本的に周辺の住人の方々を想定した場なのですが、自由に使えるレンタルスペースであることもあって、さまざまな想定外のイベント話が舞い込むようにもなりました。
「一番驚いたのは、洗剤メーカーが主催するイベント」と田中さん。「洗濯機に扮したバーチャルユーチューバーと総勢60人のファンが洗濯のコツについて直接会話するという不思議な展開のプロモーションでした。でも最初は、なぜ喫茶ランドリーでそのイベントを?って思いましたね。ここが選ばれたのは洗濯機があるからという理由だけで、喫茶ランドリーの良さを分かってくれたワケじゃないのではと何だか腑に落ちない心の葛藤もありました。
でも大勢の参加者の方々の念願がかなったと喜んでいる様子を見て、この場を選んでもらってよかったなと思いました。きっかけは何であれ、ここで過ごしていただいた方々に良い思いを感じていただいて、こうした自由な場があることの良さを分かってもらえたらとてもありがたいですね」
「人気アイドルのプロモーション撮影の場としてお貸しした際も、なぜウチで?と思ったりしましたが、そのアイドルのファンの方々が訪れてくれるようになり、喫茶ランドリーの良さを感じてくれて、リピーターになる方もいらっしゃって、うれしいです。受け入れること、判断を任せることの大切さを学びました」
オープンから1年。店内は当初よりも彩りが増しています。
「知らないうちに花が飾られている、贈られた果物で新しいスイーツがいつの間にかメニューに加わっているということもあります(笑)。『まちの家事室』の入り口を飾る三角フラッグもスタッフがつけてくれたもの。ほかの仕事でしばらく来ないでいると店の雰囲気が変わっていて、それも何だかうれしいことです。良いことが蓄積されていって、それが見て取れるわけですから」と田中さん。
「最初は私とパートナーの2人だけで運営し、メニューもコーヒー、紅茶と『ツナメルトトースト』だけでした。今、無水カレーやシチュー、オープンサンド、ケーキなどはすべてスタッフが自主的にメニュー開発してくれたもので、すべて手づくりです」
「スタッフは現在4人ですが、みんなもともとこの店のお客様。募集していないのに働きたいと申し出があってお願いしました。人を雇うことは初めてで戸惑いもありましたが、のびのび働いてもらえているのがうれしいですね。専業主婦の彼女たちには、プロ店員のように接客しなくていい、背伸びせず自分らしく働いてほしいと話していますが、みんなコミュニケーション能力が高いので、お客様との交流は安心してまかせられます。
喫茶ランドリーでさまざまなお客様と出会い、いろいろな話をするようになって、街の出来事をたくさん発見できました。ここがなかったら、この瞬間、この街のどこかの部屋の中で喜んでいる人や悲しんでいる人がいることにも気が付かなかったと思います。予想外のことも起こりますが、そうした経験がいちばんの財産ですね」
1階が楽しくなれば、街も楽しくなる喫茶ランドリーの誕生は、田中さんが代表を務める街づくりコンサルティング会社「株式会社グランドレベル」が、この建物の活用を依頼されたことがきっかけでした。
「グランドレベルの理念は『1階づくりはまちづくり』というものです。建物の1階(グランドレベル)を街に開いたつくりにすれば、1階だから誰もが気軽に立ち寄れて、人の流れが生まれ、街が変わる。日本では1階のもつポテンシャルがないがしろにされていると感じています。1階はプライベート空間とパブリック空間のつなぎ目。1階が面白くなければ街は面白くなりません」
その理念が活かされた喫茶ランドリーは、多様な人が訪れる街に開かれた寛容な場をつくった点が高く評価され、2018年10月にグッドデザイン賞のグッドフォーカス賞[地域社会デザイン]を、同年12月にはリノベーション・オブ・ザ・イヤー2018・無差別級部門最優秀賞を受賞しました。
そうした評価を受け、第2、第3の出店話も進んでいるそうです。
「出店といっても私たちが直営するのではなく、お店を始めたいという人にコンセプトを共有し、コンサルティング協力をしています。喫茶ランドリーの店名をそのまま使ってもらっても良いですが、地域の特性に合う店舗にしないと人の集まる場所になりません。
喫茶ランドリーはなんとなく出来上がった店舗に見えるかもしれませんが、ハードやソフト、コミュニケーションのデザインを、繊細にコントロールしています。マグカップ一つにしても、おしゃれなものではなく、実家にあるカップのように親しみもあって毎日見ても飽きないものを選ぶなど、格好良すぎに決めないで、多くの人にちょうどいい『ちょっと素敵』で仕立てています。最初から100%つくり込むのではなく、スタッフやお客様の意向も受け止められる器づくりも大切です。そうした点をきちんとお伝えしたいですね。
喫茶ランドリーは、ワクワクを共有できたり、コミュニティのつながりが豊かになったり、さらには自分という存在が社会から受け入れられていると実感できる場所。こうした、街に開かれた自由な場、私的公民館的なスペースがどんどん増えれば、とてもうれしいです」
田中さんのお話をうかがい、ふらっと立ち寄れて自然体で過ごせる居心地の良い場所が自宅近くにある。そこでは人と人が自然とつながることもできる。それはなんと幸せなことなのだろうと感じました。
●取材協力田中元子さん
株式会社グランドレベル代表取締役。喫茶ランドリー店主。1975年茨城県生まれ。独学で建築を学び、2004年大西正紀氏と共にクリエイティブユニットmosakiを共同設立。建築やデザインなどの専門分野と一般の人々とをつなぐことをモットーに、建築コミュニケーター・ライターとして、主にメディアやプロジェクトづくりを行う。2010年よりワークショップ「けんちく体操」に参加。同活動で2013年日本建築学会教育賞(教育貢献)を受賞。2015年よりパーソナル屋台の活動を開始。2016年、株式会社グランドレベルを設立。主な著書に『マイパブリックとグランドレベル―今日からはじめるまちづくり』 住まいに関するコラムをもっと読む SUUMOジャーナル
この記事のライター
SUUMO
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