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京都市内在住、「コミュニティダンス・ファシリテーター」という肩書きで活動する千代その子さん(31)。とあるプロジェクトのために訪れ、街と街の人々にもすっかり惚れ込んだ兵庫県豊岡市の城崎温泉をもうひとつの拠点にするべく2018年に社団法人を設立。ダンスを通した地域貢献を実践しています。連載【デュアルライフ(二拠点生活)レポート】
これまで、豪華な別荘が持てる富裕層や、時間に余裕があるリタイヤ組が楽しむものだというイメージがあったデュアルライフ(二拠点生活)。最近は、空き家やシェアハウスなどのサービスをうまく活用することで、若い世代もデュアルライフを楽しみ始めているようです。SUUMOでは二つ目の拠点で見つけた暮らしや、新しい価値観を楽しむ人たちを「デュアラー(二拠点生活者)」と名付け、その暮らしをシリーズで紹介していきます。日本にもっともっと踊れる場が増えればいいのに
「物心ついたときには踊っていた」という千代さん。3歳でバレエをはじめてから今まで「息をすること」と同じくらい、日々の中で「踊ること」が当たり前にある人生を歩んできました。17歳でイギリスへバレエ留学。その後、イタリアのダンスカンパニーへの所属や、バレエ講師になるための再留学など、海外での経験が、千代さんの「踊ること」や「ダンサーとしての職業観」へ大きく影響を与えました。そして帰国後、フリーのダンサーやバレエ講師として活動していくなかで、
「どうすれば日本でダンサーが自立して生きていけるんだろう。ダンスが自然に在る世の中にもっとしたいけれど、その在り方ってなんだろう、という疑問に行きつき、大学院の政策学研究科に入りました」
大学院では地域政策やまちづくりについて研究し、インターンシップをきっかけにNPO法人ジャパン・コンテンポラリーダンス・ネットワークに所属。千代さんはそこで運命の職業「コミュニティダンス・ファシリテーター」に出合います。「コミュニティダンス」とは、ダンス経験の有無・年齢・性別・障がいにかかわらず、「誰もがダンスを創り、踊ることができる」という考えのもと、アーティストがかかわりながらダンスの力を地域社会のなかで活かしていく活動のこと。そしてそのためのワークショップ等の活動において、参加者一人一人の表現力や創造力を引き出し、全体を目的に向かって進行するのが「コミュニティダンス・ファシリテーター」。千代さんはその養成講座の日本初の開講に準備段階から携わり、また、自分自身も「コミュニティダンス・ファシリテーター」としての活動をスタートさせ、やってきたのが兵庫県豊岡市にある城崎温泉でした。
「ダンスってなんだろう?」の答えをくれた場所千代さんが兵庫県北部・豊岡市にある城崎温泉を初めて訪れたのは2012年。2年後に温泉街の中での開館を控えた、舞台芸術のアーティスト・イン・レジデンス施設としては日本最大級となる「城崎国際アートセンター」で行われるコミュニティダンスのプロジェクトのための視察でした。
「初めて来たのにどこか懐かしい雰囲気のする穏やかな街だなぁ、という印象でした」と千代さん。しかしそのときはまだ、自分がこの街とこんなに深くかかわることになるとは思っていなかったそう。しかし、そのプロジェクトの中心となるイタリア人アーティストの通訳兼コーディネーターを担当することになり、事前リサーチやアーティスト帯同のため、2014年・2015年にかけて京都から城崎温泉へ通う日々がはじまりました。
「地元の人を巻き込まないと成立しないプロジェクトだったんですが、どの人が街の人でどの人が観光客か、最初は見分けすらつかなくて。地元の人はどこにいるんですかー!!って感じでした(笑)」
ほんの少しのとっかかりを掴んだら数珠つなぎのように人に人を紹介してもらい、地元の人を訪ねて街を歩きまわり、話を聞き、プロジェクトやダンスについて想いを伝え続ける日々。最初は「自分たちが踊る?」と、どこか警戒していた人たちの表情も、コミュニケーションを重ねるにしたがって次第に和らぎ、街を歩くと手を振ってくれたり、「その子ちゃんなにしとるん!?」と声をかけてくれたり、飲みに誘われることも。コツコツと、とにかく地道に関係性を深めていきました。
「実際の公演では、皆さんに舞台上で踊ってもらったんですが、公演前の1カ月はもう!ところどころ記憶がないほど、とにかく必死で。私のすべてを捧げたというか、作品をつくること・踊ること・踊る人・踊る場を考え続け……実は、こんなにダンスと真正面から向き合ったのは初めてだったのかもしれません。そして、踊りながらときどきふと思っていた”ダンスって何だろう”という疑問に、ひとつの答えが出た気がしたんです。そして私自身、踊ることが大好きだ!って」
日本のどこにもないダンスの在り方を、ここ城崎温泉でプロジェクトが終わったあとも、しばらく城崎温泉のことが忘れられなかったという千代さん。せっかく築いた街の人との関係をどうにか続けられないか……それほどに、城崎温泉の人と街に魅了されていました。そんなとき、城崎の子どもたちのなかから 「ダンスを続けたい」という相談の連絡がきたのです。
「この街の子どもたちのダンスの環境を、私がかかわることでもしも変えることができるのであれば、なんだってしたい!そしてこの街なら、性別や世代、いろんな条件を越えてひとりひとりを大切にできて、ダンスを通したさまざまな繋がりをつくれるんじゃないか。踊る人も踊らない人もすべての人の身近にダンスがある。まさに現代のダンスの在り方が実践できるんじゃないかって思ったんです」
城崎温泉と京都を行き来しながら活動をするにあたり、家族の理解は得られたものの収入面や他の活動とのバランスなどクリアしなければならない問題も。
「私の気持ちだけで見切り発車のように事業をスタートしてしまったら、もし行き詰まったとき、純粋に“ダンス”が好き!って思ってくれた子どもたちからまたダンスを取り上げてしまうことになる。それだけは避けたくて、どうにかできる方法はないかを模索しました」
そんなとき、千代さんの考えに賛同した城崎国際アートセンターが場所を提供してくれることに!ほかにもさまざまな形で協力してくれる人が増え、2016年に「誰でも気らくにたのしめる、みんなのおどる場所」をコンセプトに掲げた「KINOSAKI OPEN DANCE CLASS」がスタートしました。3年目を迎えた今では、豊岡市だけでなく、周辺の市町からもクラスに参加する人たちも。このクラスの存在を聞きつけ、旅を兼ねてわざわざ関東方面から参加してくれた人もいたそう。そして昨年、この活動をさらに広げるべく、城崎温泉を所在地に置く一般社団法人ダンストーク(Danstork)を設立したのです。実際に、設立後は城崎温泉を軸にしながら活動エリアを広げ、出石町やお隣の養父市での「オープンダンスクラス」開催や、豊岡市内の高校でのダンスプログラムの実施など、千代さんはダンスの在る暮らしの愉しさや豊かさをより広く多くの人に届けています。
家族と暮らす京都を拠点にしながら、月に1週間ほど(長いときで3週間滞在することも!)城崎温泉に滞在する暮らしは千代さんにとってどんな影響を与えているのかを聞いてみました。
「家族と暮らす京都は、生活面でサポートし合うことができるので、何かを学んだり吸収したりする環境が整っているインプットの場。そして城崎は、京都で得たものを使いながら集中してダンスと向き合う実践の場、という感じでしょうか。行き来することで、人や場ともいい意味での距離感を保つことができています。城崎にいたら京都に帰りたいなぁ、って思うこともあるし、京都にいるときは城崎に早く行きたい!って思いますしね(笑)」
千代さんの理想は、城崎や但馬を「すべての人のまわりに“ダンス”が当たり前のように在る」、そんな場所にすることだそう。そして、他の地域から注目され人が来る場所になれば、人と人との関わりのなかにまたダンスが生まれ、みんなにとってダンスが在って当たり前のことになっていく。それが地域社会をより豊かなものにできるダンスの力である、と千代さんは信じているからです。「私にとって、夢をかなえられる場所が城崎温泉なのかもしれません。踊っても踊らなくてもダンスは必ず、日々を豊かにしてくれます。大好きな城崎や但馬の人たちに、これからもそのことを伝え続け、場をつくり続けていきたい」と千代さん。
人が日常のなかで暮らしと仕事とのバランスをとるように、千代さんは日常の中で京都と城崎温泉をバランスよく行き来し、夢に向かって進んでいます。
この記事のライター
SUUMO
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『SUUMOジャーナル』は、魅力的な街、進化する住宅、多様化する暮らし方、生活の創意工夫、ほしい暮らしを手に入れた人々の話、それらを実現するためのノウハウ・お金の最新事情など。住まいと暮らしの“いま”と“これから= 未来にある普通のもの”の情報をぎっしり詰め込んで、皆さんにひとつでも多くの、選択肢をお伝えしたいと思っています。
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