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2011年に発生した東日本大震災では、多くの宿泊施設も被害を受けた。再建費用や、集客面の課題から、再建を諦めた施設も少なくない。岩手県大槌町にあった民宿「あづま民宿」もその中の一つだ。
しかしその民宿のオーナー夫妻の娘、東谷いずみさん(25)が昨年秋から、釜石市の商店街で民泊「あずま家」を始めた。「ゆくゆくはゲストハウスにしたい」と東谷さん。新たな規制にゆれる民泊を運営する上での苦労や、ゲストハウス開業に向けた意気込みをきいた。
東日本大震災で消えた「あづま民宿」――ご実家でも民宿を営んでいたそうですね。
東谷:はい、「あづま民宿」という名前で、私もお皿を洗ったり、お布団を敷いたりと手伝いをしていました。なので、小さいころから他の人が家にいる環境には慣れていましたね。
でも東日本大震災をきっかけに、廃業することになりました。震災当時は、私は高校2年生で学校で被災しました。大槌の自宅には父と母と祖母、犬も一緒にいました。父が消防団に入っていたので、水門を閉めに行くなどして家を離れ、祖母と母で逃げたと聞いています。
3人は無事でしたが、犬はそのまま亡くなってしまいました。
――ご実家の民宿は再建されなかったのですか?
東谷:昔からのお客様やご近所の方には「またやらないの?」と言っていただきました。でも現実には、難しかったです。大槌町はかなり大きな被害を受け、「あづま民宿」の建物も流されてしまったので、建て直すには費用がかかります。実家の民宿があった吉里吉里(きりきり)に三陸道が開通すると、インターチェンジのちょうど間なので、集客も難しそう。父が61歳、母が58歳だったので、年齢的な問題もあって廃業を決意しました。
釜石市とパソナ東北創生は、行政と地域の住民が力を合わせて、最長3年間で起業を準備し、事業を創出する「釜石ローカルベンチャー制度」を推進している。その一環に「起業型地域おこし協力隊制度」という町おこしを推進する制度があり、東谷さんは仙台で行われた告知イベントをきっかけに応募。二期生に選ばれた。――民泊「あずま家」の物件を見つけたきっかけは?
「釜石ローカルベンチャー制度」の2017年当時の募集テーマが、釜石観音のふもとにあり、かつて観光地として栄えた「仲見世通り」の再生でした。仲見世通りはかつて20店舗以上が軒を連ね「人にぶつからずに歩けない」と言われるほどにぎわっていたそうです。しかし現在は「あずま家」とシェアオフィス「co-ba」の他は、飲食店が1店舗営業をしているだけとなってしまいました。
ここで空き店舗や空き家を活用した事業を行うメンバーの募集があり、私がエントリーしたのがきっかけです。ここ仲見世通りにはローカルベンチャー制度の地域パートナーがいて、その方に今のあずま家の物件を紹介してもらいました。以前は1階がお蕎麦屋さん、2階が住居だったと聞いています。
現在は2階部分を民泊として運営しています。1階部分には近々カフェがオープンする予定です。
「釜石ローカルベンチャーコミュニティ」の二期生は、東谷さんを入れて計5人。三井不動産レジデンシャルを退職し、「あずま家」のある仲見世通りの活性化に取り組む神脇隼人さん(30)らが活動している。1階部分のカフェをオープンするための資金は、神脇さんを中心にクラウドファンディングで募った。最終的に約440万円(目標金額の109%)を集め、クラウドファンディングは大成功。神脇さんは「目標金額達成はゴールではなくスタート。皆さんの思いを、必ず形にしていきたい」とコメントを寄せた。――東谷さんもここに住んで民泊を運営されているとか。1日をどのように過ごしているのでしょうか。
東谷:まず客室は全部で3部屋で、最大で7人が泊まれます。
チェックアウトは朝10時、チェックインは夕方4時。午前中はお洗濯や掃除で終わってしまうので、お昼過ぎからチェックインまでが自分の時間です。「1人で大変だね」と言われることもあるのですが、そんなに大変だと感じることはないんですよ。
2018年9月に始めてからまだ5か月ですが、物件の家賃と光熱費は民泊で稼ぐことができています。「釜石ローカルベンチャーコミュニティ」からの活動資金を加えて、事業として軌道に乗せていければと思っています。
校庭から100メートルでも“アウト”に――民泊を運営する上で大変なことはありますか。
東谷:始める前は「民泊というと、楽に始められるのかな」と思っていましたが、たくさんの書類が必要で、申請がとっても大変でした。規制もどんどん厳しくなってきています。つい最近は、新しく県の条例ができました。「学校の半径100メートル以内では、平日に民泊を営業してはいけない」という制限が加わりました(岩手県「住宅宿泊事業法施行条例」平成31年2月1日施行)。
この民泊「あずま家」のそばには釜石商工高校があります。校舎からは100メートル以上離れているのですが、校庭も入れると100メートル以内に入ってしまうと……。保健所の方が説明に来てくださいました。
――騒音や迷惑行為の防止が規制を強化する趣旨だとされています。土日の運営だけでは経営が成り立たないのではないでしょうか。
東谷:「あずま家」は今後旅館業(簡易宿泊所)の営業許可を取得し、ゲストハウスという形にしていきます。しかしもしこのまま民泊で進めるとしたら、やりづらさを感じます。特にこれを本業としてやっていくのであれば、なおさらです。迷惑行為等に関しては様々な声があると思いますが、民泊の運営者側から宿泊者へ民泊がどのような場所(多くは住宅街)で運営されているか説明し、宿泊ルールについて双方がきちんと認識できれば、クリアになる部分もあるのではないかと思います。
民泊はいまも、年間180日以上は運営ができません。「通年営業のゲストハウスならよくて、民泊はなんでダメなのかな」というのが正直な気持ちです。
――それもあって、ゲストハウスに変更されるのですね。
東谷:そうですね。もともとゲストハウスをする方向では考えていましたが(ゲストハウス運営に必要な)簡易宿泊所の営業許可を取るのは、物件によっては大変だと聞きます。でもいまの民泊「あずま家」の場合は、あとは書類を集めればいけるところまできました。民泊新法ができた直後は「スモールスタートとして民泊をやろう」と思ったんですよね。でも今になって考えてみると、ゲストハウスより民泊を始めるほうが、場合によっては手続きや書類の数が多くてはるかに大変だった気がします(苦笑)。
「ふつふつ」している人たちをつなぐ場にしていきたい――「あずま家」をどんなゲストハウスにしていきたいと思いますか。
東谷:外から来る人(旅行客や関係人口層)と中の人(釜石の地元住民や移住者等)をつなぐ場にしていきたいです。いっときの、自分と同じような人たちの出会いの場にしていきたいと思っています。自分の人生を生きよう、一歩踏み出そうとしてるけど踏み出せない。そんな、なにか「ふつふつ」としている人たちをつなぐ場づくりをしたいのです。
――なぜそう思うようになったのでしょうか。
東谷:私自身がこれまでいろんなつながりに出会い、助けられてきました。今度は自分が場をつくることで、これからいろいろな人と出会い、つながれる時間を作っていきたい。じゃあ、その場はどんな形?と迷っていた時に、新潟の粟島にある「おむすびの家」というゲストハウスに行ったんです。そこのオーナーさんの生き方、そこで出会った人たちが、自分で事業をやる、という決意をさせてくれたと思う。あの場を自分でも、釜石に再現できたらと思っています。
ここから徒歩1~2分のところにはシェアオフィスもあります。そこはこの(あずま家がある)仲見世商店街を活性化プロジェクトの打ち合わせ場所にもなっています。そこに集う起業家や建築士、主婦やデザイナーといった人たちも、よく「あずま家」にやってきますから、いろいろなバックグラウンドや、スキルを持った人たちとつながることができます。
――そのつながりから、また新しい取り組みも生まれそうですね。
東谷:そうですね。今はまだできていませんが、泊まりに来た人に観光地だけを案内するのではなく、ローカルでディープな釜石の魅力も伝えたいです。釜石市内の他地域、例えば甲子町や尾崎白浜など、ほかの地域をつなぐ役割ができないかなと思っています。甲子町の名物、いぶした柿「甲子柿」なんか、本当に甘くてとってもおいしいんですよ(笑)。でも釜石市内でも、あまり知られていなかったりするのでもったいないと思っています。
それぞれの地域にキーマンはいるので、セットプランを作ったり、ツアーを開催したり、ゲストハウスとしてのコンテンツをもっと増やしていきたいですね。
――逆に、ここは変えたくない、ということは何かありますか?
東谷:内装などは、あまり変えないようにしようと思っています。泊まりにきてくれた人たちにアンケートをとっているのですが、あずま家の魅力はリラックスできるところみたいです。「釜石の我が家」と書いてくれた人もいました。共同スペースのこたつで仕事用のパソコンを開いたまま、寝てしまう人も多いです(笑)。よい意味で力の抜けたあたたかい空間を、これからも提供していきたいです。
●取材協力この記事のライター
SUUMO
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『SUUMOジャーナル』は、魅力的な街、進化する住宅、多様化する暮らし方、生活の創意工夫、ほしい暮らしを手に入れた人々の話、それらを実現するためのノウハウ・お金の最新事情など。住まいと暮らしの“いま”と“これから= 未来にある普通のもの”の情報をぎっしり詰め込んで、皆さんにひとつでも多くの、選択肢をお伝えしたいと思っています。
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