/
“新築信仰”が根強い日本であえて築150年の古民家を選び、リノベーションで夢をかなえた夫妻がいます。香川県高松市、源平合戦の舞台として知られる屋島を借景に、断熱・耐震・意匠のすべてを極めた一棟。そこには、歴史を継承しながらも快適さを諦めない、これからの住まい方のヒントが凝縮されていました。
2つの時代をドラマチックにまたぐ「時をかける家」「新築のきれいなモデルハウスを見ても、私たちの心が動くことはなくて。最初から、古い建物を自分らしく直して住む以外は考えていませんでした」。そう話すのは、香川県高松市に暮らす櫻木拓(さくらぎ・たく)さん夫妻。美術教師である夫と、感性豊かな妻。ふたりが選んだのは、明治初期の面影を残す築150年以上の古民家でした。
春の日差しが心地よい、ある週末。もうすぐ2歳になる愛息子と一緒に笑顔で出迎えてくれたエントランスは、かつて台所として家族の営みを支えていた場所です。深い軒が影を落とすその下で、今度はこの家の顔として、凛と佇む焼杉の壁。新たな息吹を象徴するかのような漆黒の美しさに、思わず目を奪われてしまいます。重厚な玄関扉の向こうには、庭まで続く通り土間も。そこを吹き抜ける風に、この家に刻まれてきた記憶が今も息づいているのを感じました。

出迎えてくれた櫻木さん家族。焼杉の趣あるエントランスです(写真撮影/Fizm 藤岡 優)
明治元年にはすでに登記されていたという櫻木邸。その佇まいは長い歳月の中で幾度も増築され、複雑に拡張されていました。リノベーションの場合、建物の劣化状況や欠陥を正しく把握し、法的課題をクリアすることが先決。未登記部分や境界を越境する部分の減築が必須でした。

写真右手にあるのが台所として増築された部分。ブロック塀ギリギリまで拡張していたのが分かります(画像提供/しわく堂)

かつて台所があった部分を減築し、玄関と軒を新設。軒先の井戸は台所の名残です(写真撮影/Fizm 藤岡 優)
大胆に削ぎ落とすことで見えてきたのは、明治期に建てられた農家屋本来の造形。その姿をよみがえらせるべく、団らんを楽しむLDKは重厚な梁が躍る明治期の空間へ、静かな寝室や子ども部屋は光あふれる昭和期の空間へ。2つの時代を自由に往来する空間設計は、まさに“時をかける家”といえます。

リノベ後の庭園側立面。虫窓の残る明治期の母屋と大きな窓を備えた昭和期の2階建て、それぞれが独立して見えるように設計されています(写真撮影/Fizm 藤岡 優)

梁あらわしの天井が風格と歴史を感じさせるリビング。奥のガラス扉から2階建ての昭和期エリアにつながります(写真撮影/Fizm 藤岡 優)

無垢床と土佐和紙クロスに包まれた2階子ども部屋は、光と風を取り込む快適空間(写真撮影/Fizm 藤岡 優)
新築を嗜好する人も少なくない中で、なぜ彼らはあえて、耐震性や断熱性に不安を抱きがちな古民家を選んだのでしょうか。その背景には、櫻木さんと交流のあった香川出身の彫刻家・大西康彦(おおにし・やすひこ)さんが持つアトリエへの憧れと、“大好きなおばあちゃんちのような家に住みたい”と願う妻の想い、そして何より、安心して託せるパートナーとの出会いがありました。
家族構成夫30代、妻30代、長男1歳竣工年月2025年9月施工費3470万円階数・間取り木造2階建て、2LDK延床面積144.083平米住宅性能新耐震基準相当古民家リノベにおいて最大の壁となるのが、断熱と耐震です。櫻木邸も改修前は冬の寒さが厳しく、現代の基準には遠く及ばない強度でした。昔の風情を残しながら、新築に負けず劣らぬハイスペックな性能を詰め込む――。この極めて難易度の高いプロジェクトに挑んだのが、“暮らしづくりカンパニー”を掲げる設計事務所、株式会社しわく堂。共同代表を務める一級建築士の平宅正人(へいたく・まさと)さんと、一級建築施工管理技士の入谷洋平(いりたに・ようへい)さんが、夫妻の想いに応えたのです。

取材に同行してくれた入谷さん(写真手前右)と、このすばらしい設計を生み出した平宅さん(写真手前左)(画像提供/しわく堂)
まず課題となったのが、断熱材をどこに入れるか問題。「内側に厚く入れると立派な柱や梁、趣のある土壁が隠れてしまう。それではおふたりの想いに応えられない」と入谷さん。そこで採用されたのが、外断熱という手法です。建物の外側をぐるりと高性能な断熱ボードで包み込み、その上から新たな外壁を施工。厚さにして約8cm外側にふかすことで、明治の意匠を守りつつ、魔法瓶のような高い気密・断熱性能を実現しました。

徹底した外断熱で意匠性が保たれたLDK。冬も暖かく過ごせたそうです(写真撮影/Fizm 藤岡 優)
耐震性についても、最新の知見と技術が注ぎ込まれています。「設計時に『現状のまま揺れた場合』と『補強後に揺れた場合』のシミュレーション動画を見せてもらい、視覚的にも安心できました。絶対に崩れないわけではないけれど、命を守れる家だなと」。木造住宅の耐震指標となるIw値をどこまで高めるかは施主次第ですが、しわく堂は新耐震基準レベルの1.0を目指すのがモットー。家族の安全はもちろん、補助金や住宅ローン控除を活用するカギとなるからです。
現状のまま補強せずに揺れた場合(動画提供/しわく堂)耐震補強後に揺れた場合(動画提供/しわく堂)■関連記事:
建築学生が47都道府県「1300の建築をめぐる旅」で見つけた“本当に暮らしたい街”。就職先に大都市ではなく香川・三豊を選んだ理由
このような性能向上リノベーションは、ときに新築よりも高いコストを伴います。櫻木邸の場合も、物件購入費と合わせて4000万円以上の予算を投じました。しかし、性能を高めることで国や自治体から出る補助金を最大限にキャッチ。「しわく堂さんから『この時期にこの申請をすればこれだけの補助金が出る』という資金計画表を見せてもらいました。おかげさまで300万円近いキャッシュバックや、新築と変わらない減税の恩恵を受けられています」(櫻木さん)
■櫻木邸で活用された主な補助金
耐震診断補助金既存建築物の耐震診断費用の一部を自治体が負担耐震改修補助金旧耐震基準住宅の耐震補強工事の一部を自治体が負担先進的窓リノベ事業開口部の断熱リフォームに対する国の補助金事業子育てグリーン住宅支援事業子育て世帯を含む全世帯の省エネ住宅(新築・リフォーム)を支援 ※現在は受付終了かがわスマートハウス促進事業補助金ZEH、太陽光、蓄電池などの設置費用の一部を県が補助高松市スマートハウス等普及促進補助制度ZEH、太陽光、蓄電池などの設置費用の一部を市が補助住宅ローン減税住宅ローン残高の0.7%が10年間にわたり戻ってくる制度※2026年からの税制改正により、省エネ基準を満たす中古住宅は控除期間が最長13年に最も避けるべきは、工事が決まってから使える補助金を探すこと。実際、多くの制度では「交付決定が下りる前に着工したものは対象外」という掟が。さらに複数の制度を組み合わせる場合、その難易度はグンと跳ね上がります。
「例えば、国の交付決定通知書が届かなければ、市や県に申請できないといった『申請の順序』も存在します。設計側がどの工事をどの補助金に紐付けるか、最初から資金計画の図面に落とし込んでおく必要があるんです」(入谷さん)
しかし、どれほど準備をしても抗えないのが予算枠の壁。櫻木邸でも、狙っていた市の空き家改修補助事業はすでに予算の上限に達していました。補助金制度の活用は、いわば情報戦。そこで、数百万単位の支援を確実に手にするための理想的なスケジュールを、入谷さんに聞いてみました。
①秋(10~11月):次年度の予算案や新制度の動向を掴み、作戦会議スタート。※自治体は国より遅く、1~2月ごろに判明することも
②冬(12~3月):設計図面を確定させて見積もりを出し、狙うべき補助金を組み込んだ資金計画を詰める。
③春(4~5月):申請が始まる年度初め。人気の制度は早期に予算枠が埋まるため、最速での申請を目指す。
性能へのこだわりを、資金を引き出すトリガーとして活用する。そして、設計事務所や工務店の経験値とスピード感を味方につける。これが、令和のリノベーションを成功に導く一つの戦術なのです。
既存の建材を活かし切る。愛着が増す「生け捕り」の魔法また、櫻木邸を語る上で欠かせないキーワードが“生け捕り”です。これは、解体時に出た古い建材を傷つけずに取り出し、別の場所で再利用することを指す建築用語。建材の高騰が続く今、コスト削減のテクニックとなるのはもちろんですが、それだけではありません。かつての住人が紡いできた歴史を、新たな家族の物語へとつなぐ役割も果たしているのです。
「この家の至るところに、以前の家の記憶が眠っています」と、愛おしそうに屋内を見渡す櫻木さん。例えば、通り土間にある重厚な松材のベンチは、減築した際に出た古材。また、キッチンや書斎の壁には、剥がした土壁を練り直して再塗装した部分や、古い建具を今の生活に合わせてリサイズした箇所が点在します。

増築部から生け捕りした松の木をベンチに。釿(ちょうな)の削り跡をあえて見せているのが粋(写真撮影/Fizm 藤岡 優)

表面の繊維壁を削り、土の素朴な質感を活かして再塗装。家族のイラストは美術教師である櫻木さんの作(写真撮影/Fizm 藤岡 優)

古い敷居を腰壁風の棚に。あえて残した荒壁も存在感大!(写真撮影/Fizm 藤岡 優)

もともとの建具の上下に木材を継ぎ足し、現代の標準的な高さにリサイズ。エイジング塗装を施して新旧を馴染ませるテクニックもさすがです。大きな沓脱石(くつぬぎいし)は、庭に残されていたものをみんなで運んだそう(写真撮影/Fizm 藤岡 優)
さらには、工事のプロセスにも積極的に参加。通り土間のたたき仕上げや天井に再利用した床板の塗装、手洗い場の造作など、櫻木さんのDIYは多岐にわたります。

構造部をあらわにした大和天井。天井のベニヤ板は古い床板を櫻木さんが塗装したもの(写真撮影/Fizm 藤岡 優)

夫妻が使いやすい高さに造作したオリジナルキッチン。グリーンのタイルは櫻木さんのDIYです(写真撮影/Fizm 藤岡 優)
「建築中にこの子が1歳の誕生日を迎えたんです。当時は私が赤ちゃんを抱えて、主人がDIYして……あの怒涛(どとう)の家づくりは一生忘れられません」と、懐かしそうに振り返る櫻木さんの妻。あえてそのままにした柱の埋木は、彼女の密かなお気に入りです。

木の割れや節穴をふさぐ埋木。写真は、低すぎた鴨居の高さを上げ、その跡をていねいに埋木したもの(写真撮影/Fizm 藤岡 優)
櫻木さん夫妻の家づくりを思い出深いものにできたのは、古民家の構造を熟知し、断熱や気密といった性能の仕組みを理解した職人がいてくれたから。施工中のDIY参加を快く受け入れる柔軟さも大きなポイントで、今あるものをどう活かすか、施主と一緒にアイデアを出し合う感性も求められます。技術と経験値、そして愛ある心意気。古民家リノベを託すなら、そんな志を持つパートナーを選びたいものです。
日本の住宅価値を問い直す。古さこそが資産になる未来へ日本では新築時が価値のピークであり、築20~30年で建物の価値がゼロにされることもあります。しかし、欧州では築100年、200年の民家がメンテナンスされ続け、古いほど、あるいは歴史的価値があるほど資産価値が高まる傾向にあります。
先人が残した立派な建材や、職人の手仕事が光る繊細な造形。古いという理由だけでそれらを壊してしまうのは、社会的損失とも考えられます。櫻木邸のような性能向上リノベーションは、次世代に引き継げる資産にもなるはずです。

職人の粋を感じる、懐かしくも美しい古建具。現代の工業製品では出合えない貴重なものです(写真撮影/Fizm 藤岡 優)
ただ、櫻木邸の価値は、資産鑑定上の数字だけでは計れません。
内と外をゆるやかにつなぐ通り土間で、薪ストーブの炎がやさしくゆらめく。キッチンカウンターで立ち飲みを楽しむ夫妻の傍ら、かわいい盛りの子どもが無邪気に絵本を広げる。朝方になると隣接する神社の木漏れ日が差し込み、自らの手で塗り直した土壁に淡い陰影を映し出す――。
真新しい空間では決して味わえない、どこか懐かしく、包み込まれるような安らぎ。ここでは、日常の何気ないシーンが特別な充足感に満たされています。「本当に、豊かな時間だなと思うんです」(櫻木さん)

夢だった薪ストーブのある暮らし。火を焚いているときは、本能的に熱さを感じているのかあまり近付かないそう(写真撮影/Fizm 藤岡 優)

お酒が大好きな櫻木さん夫妻。「お酒が楽しめる家にしてください!」の一言で誕生したのがこのキッチンカウンター。棚の上部には酒器、子どもが手にしやすい下段には絵本を(写真撮影/Fizm 藤岡 優)

リビングの一角にある書斎。柔らかな採光が、土壁に表情豊かな陰影を生み出します(写真撮影/Fizm 藤岡 優)
階段を上った先には、窓越しに屋島を望むビュースポットも。櫻木さんの妻いわく、屋島は自分にとってのパワースポット。“屋島が見える場所”での暮らしを手に入れるために、1年半をかけてようやく出合った古民家なのです。
「売主さんとは直接話せませんでしたが、毎朝のように訪れ、風通ししていたとご近所さんに聞きました。それだけで、大切に守り続けてきたことが分かります。その想いをしっかり受け継いでいきたいですね」(櫻木さんの妻)

晴れた日は遠く屋島を望む2階子ども部屋。ここでお酒を楽しむことも(写真撮影/Fizm 藤岡 優)
一歩外へ出れば、今も続く庭づくり。DIYは家の外にも広がっていました。「枯山水とまではいきませんが、解体した瓦で雨落ちをつくり、飛び石を置いた和の庭にしたい。なかなか進みませんけどね(笑)」。150年の年輪を刻んだ空間は、櫻木さん家族が紡ぐ暮らしによって、日々更新されています。
櫻木邸は、単なる“ハイスペック古民家”ではありませんでした。過去を愛し、現在を快適に過ごし、未来に価値を残す。そんな新しい住まい方を教えてくれている気がします。この家を育てていきたい―。ふと漏らした櫻木さんの、幸せそうな表情が忘れられません。
●取材協力
株式会社しわく堂
この記事のライター
SUUMO
178
『SUUMOジャーナル』は、魅力的な街、進化する住宅、多様化する暮らし方、生活の創意工夫、ほしい暮らしを手に入れた人々の話、それらを実現するためのノウハウ・お金の最新事情など。住まいと暮らしの“いま”と“これから= 未来にある普通のもの”の情報をぎっしり詰め込んで、皆さんにひとつでも多くの、選択肢をお伝えしたいと思っています。
ライフスタイルの人気ランキング
新着
公式アカウント