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子どもたちに大人気の「アンパンマン」の生みの親・やなせたかしさん。やなせさんと妻・暢さんをヒロイン夫婦のモデルとして描くNHK連続テレビ小説『あんぱん』もはじまり、今あらためて、その生き方に注目が集まっています。やなせさんが子どものころ、母と別れ伯父に引き取られたときの思い出を書いた詩を紹介します。
\やなせたかしさんの半生と、「アンパンマン」のもとになった考え方/
正義とは何で、正義の味方とはどのような人なのか。戦争を生き抜き、「アンパンマン」をはじめ数々の絵本や作詞で名作を残したやなせたかしさんは、90歳のときに、正義についてあらためて考えた一冊を遺しています。
「今、ぼくたちが生きている社会は、世界の戦争や環境問題、不安な政治、殺人事件、怒りの気持ちになることが毎日起こっています。でもぼくは多くの人を喜ばせたい。」
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小学生で母と離れ、伯父の家で暮らすことになった、やなせさん。そのときの母との別れを書いた詩と弟への想いを、書籍『新装版わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)から一部抜粋してお届けします。
※画像はイメージです
小学校二年生に進級したばかりの時、ぼくは高知県長岡郡後免町(ながおかぐんごめんちょう・今の南国市後免町)で内科小児科医院を開業していた伯父の家に連れていかれました。母が伯父としばらく話した後でぼくに「嵩(たかし・ぼくの本名)はしばらくここで暮らすのよ。病気があるから伯父さんに治してもらいなさい」と言ったのです。
この時のことを書いた詩があります。
母とのわかれ
ぼくらはある日母とわかれたぼくらは身体がよわいからよくなるまで医者をしていた叔父の家にあずかってもらうと母にいわれた「おじさんのいうことをよくきいてはやくよくなるのよお母さんはすぐにむかえにきますからね」母はそういった母は盛装して白いパラソルをさしていた秋のはじめのころだったかなあぼくと弟は素直に信じたそして母をおくっていった母のパラソルは蝶のように麦畑の中を遠ざかっていった母は何度かふりかえったぼくらはそのたびに手をふった
「あなたのお母さんはわるいひとやこんなかわいい子どもをすてて再婚するなんて」しかしぼくらは信じた母を信じた「うそだい病気をなおすんだい」おとうとはそういったひとの手にかみついた本当のことがうすうすわかりかけてきた頃になってもぼくらはずーっと信じていたそして早く丈夫になろうと冷水まさつをして風邪をひいた
弟の千尋(ちひろ)のことはとてもいろいろな思いがあって、ぼくは「おとうとものがたり」という一連の詩を書いています。先ほどの母との別れの詩もその中の一つです。
弟はとても可愛らしく快活でした。一方のぼくは顔が良くないし、人見知り。強情でひねくれて子どものくせに妙に陰気で暗い。それから弟は先に柳瀬家(やなせけ)の養子になっていたので奥の部屋で伯父夫婦と川の字で眠り、兄のぼくは玄関横のつめたい書生部屋で眠るという違いもありました。当時はあまり気にしてはいませんでしたが、何か子ども心に思うことがあったかもしれません。弟はぼくが戦争から戻った時、戦死していました。頭が良くて勉強ができ京都大学を卒業後、海軍特攻隊を志願していたのです。弟との思い出はたくさんありますが、やっぱり仲良くしたことよりもけんかしたことを覚えているものですよね。
※画像はイメージです
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この続きは、是非書籍でご覧ください。
『新装版わたしが正義について語るなら』ポプラ社
※本記事は、『新装版わたしが正義について語るなら』著:やなせたかし/ポプラ社より抜粋・再編集して作成しました。
この記事のライター
マイナビウーマン子育て
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