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芥川賞を受賞したデビュー作「限りなく透明に近いブルー」や「コインロッカー・ベイビーズ」などで知られる作家の村上龍(むらかみ・りゅう、本名龍之助=りゅうのすけ)さんが17日、自宅で死去したことを23日、所属事務所と幻冬舎が発表した。74歳だった。葬儀は家族葬で行われた。編集者として小説「トパーズ」「半島を出よ」などを手掛け、公私ともに親交の深かった幻冬舎の見城徹社長(75)がスポーツ報知の取材に応じ、村上さんとの思い出や作家としてのすごみを語った。
見城氏は角川書店時代から50年近く、村上さんと深い友情を築いてきた。思い出すのは、伊豆の川奈ホテルに泊まり込んで2人でテニスに没頭した日々。「朝から晩までぶっ倒れるまでテニスをした。彼はうまくて、大体僕は0―6か良くても3―6ぐらいで負ける。3ゲーム以上取ったことはなかった。そのテニス合宿から『テニスボーイの憂鬱』という小説が生まれたんです」
共通の友人だった坂本龍一さんとは、3人でよく酒を飲んだ。酒席が終わりを迎える頃、村上さんは決まって佐野元春の「SOMEDAY」を歌った。「村上龍の『SOMEDAY』は本当にうまいんです。美大出身で絵の才能もあったけど、ドラムをやったり音楽の素養もあった」。村上さんが同曲を十八番にした背景には強い思いが込められていたという。「彼は常に『いつの日か』という思いを抱き続けながら生きていた。本を一冊書き上げるたびにネクスト・ワンを見据えていた。それは全作品に共通しています」
2003年に刊行した「13歳のハローワーク」は、常に先を見据えていた村上さんのすごさを象徴する一冊だ。中高生たちに世の中の様々な職業を紹介する同書は、小説の作風とはかなり異なるが、画期的な本としてベストセラーとなった。「今でこそ『〇〇歳の』というタイトルの本は数多く出ているが、これを最初に考えたのは村上。ものすごくアイデアマンで時代を先取りできる男でした」
近く発売される見城氏の自著「敗者の凱旋」には、急きょ村上さんを追悼する文章を加筆したという。
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スポーツ報知
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