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小説家の高殿円さんは、夫婦+高校生の息子の3人暮らし。芦屋の一軒家で仲良く生活しているものの、子育ての終わりが見えてきて、寂しさを抱えていたそうです。
そんな高殿さんは「育児以外に、私が本当にしたいことってなんだろう?」と、考えます。その結果、「私だけの秘密基地を作ろう!」「温泉が出るマンションを買おう!」という夢が浮かびました。
あちこち土地を調べた結果、伊豆のビンテージリゾートマンションを購入した高殿さん。物件購入を通して自分自身と向き合う方法や、2拠点生活が家族関係にもたらしたメリットについて寄稿いただきました。
手がかかり、全力を注いできた子育てに、終わりが見えてきた我が家には、手はかかるが楽しくかわいい、赤ちゃんのときからエレベーターを愛する息子がいる。小さなころから「○○駅はフジテック製……、××駅は三菱製……」と、なぜかエレベーターのメーカーを記憶してボソボソと呟くような子どもだった。「エレベーター、息子」でGoogle検索すると、なぜか息子のまとめがトップに出てくるので、詳しくはお暇なときにそちらを読んでいただきたい。
高校生になっても息子は移動する鉄の箱を偏愛しており、将来は機械工学科に進学したいそうだ。もうこうなると親としてはただただ一途な息子を尊敬し、夢に向かって邁進する子のために黙って働くしかないのである。
子育てに明け暮れたアラフォー時代、コロナ禍で3年ほどスキップしたような感覚に世界中が陥る中、私はまた別の、形容しがたい期待と不安に襲われていた。「もしかして、子育てが終わるかも?」という予感だ。
予感もなにも、子は育つのでいつかは終わる。しかし出産してから永遠のような子育ての大海に浸っていたから、いざひとりで陸地へ向かえといわれても呼吸の仕方を忘れているものなのだ。息苦しいような、寂しいような、楽しみなような「終わる」感。ああこれが世間でいう空の巣症候群というものか、と悟った。
(イラスト/いまがわ)
前述のように我が家の息子氏はなかなか手のかかる子どもだったので、私も夫も人生のほとんどを子どもに全ぶりして生きずにはいられなかった。さてそれがめでたくも終わることとなり、私は彼がこの世に生まれてくる前にどんなふうに暮らしていたか思い出そうとした。17年前である。もう記憶にない。そして思い出しても戻れるものでもない。あのころ私はだいぶ若かったし、体力もあったし、もうちょっと夢や希望や野心にあふれていたように思う。
「子ども」を切り離した「私」って? 自分がわからなくなった「っていうか、夢とか希望って、なんだっけ」
子どもができて、それらはすべて「子どもの」夢や「子どもの」希望にすり替っていった。いつだったか4歳までしゃべらなかった息子と二人、療育に通いながら「問題なく学校生活を送れるようになりますように」「息子に友達ができますように」と夢を見た。
幸運にもそれらが叶ったときには希望が生まれた。「もしかしたら大学にいけるかも……?」それはたしかに私の夢や希望であったけれど、私単独のものではなかったのだ。
思い出せ。自分の夢や希望を。それは生きるためにまだ必要だ。コロナ禍真っ最中に、私はかつて当然のように抱いていた「私単独の夢」についてぼんやりと思いを馳せていた。人生100年時代がやってきた。ならば私はまだ半分を折り返したにすぎない。余生というにはあまりにも長い時間をこれからどう過ごそう。そもそも私ってどんな人間だったっけ。人間は忙しすぎると、自分すら忘れてしまう。
夢は「私だけの秘密基地をつくること」。いざ、物件取得へ!「なんかよくわからないから、秘密基地をつくろう」
夢を叶えるにも、夢をもつにも、健康が第一だ。17年前と大きく違っているのはとにかく健康状態。薬がないと眠れないひどい睡眠障害に運動不足、始まった老眼、生理不順、そしてフリーランスという不安定な収入と、そのせいで不安定になるメンタルだった。夢なんて思い出せないけれど、まずはとにかくこれを解消するんだ。さあどうすればいい?
「よーし、温泉を買おう」
私は自分の愛するものについて、ずっと愛してきたものに対して、まるで遺跡から奇跡的に割れずに形を保っていた土器をそうっと掘り起こそうとするかのように思い出した。そうだ、私はお風呂が好きだ。温泉が好きだ。毎日お風呂だけが楽しみで、長湯をしたってちっとも辛くない。お湯が冷めたら追いだきしながらお風呂でドラマをだらだら観るのが好きだ。
ここで思いついた。「だったら追いだきしないでいい、温泉を買えばいい」。どうせ数年コロナで海外には出られないんだし(とその時は思っていた)、コロナが明けたら息子は受験であっという間に家を出ていく。今から少しずつ距離をとりながら、忘れていた自分への投資をはじめよう。
「温泉付き物件取得」の夢が明確になり、土地選びへ 一気に「私」が前進したそんなわけで、最初はおそるおそる一週間、民泊で部屋を借りてみた。たしか大分の別府温泉だったと思う。海があって、観光地ながら適度に落ち着いていて、フェリー1本で関西からアクセスできてとてもよかった。
ただ、温泉付きのマンションは思ったよりは少ない。その理由は。市営の銭湯が安いからみな管理が大変な温泉付きより、外湯に通うことを選ぶからだとわかった。
「いや、私はそんなに外に出たくない。家でのんびりお風呂を楽しみたい」
ここで自分のことをひとつ知ることができた。私は温泉も好きだけれど、だらだらお風呂でドラマを観たり四季報を読んだりするのがもっと大好きなのだ。お風呂は私の聖域であり儀式なのだから、大浴場は気を使ってしまってよくない。というわけで別府をあきらめ、草津の山奥にあるロッジを1カ月借りてみた。
そこは草津の最高の湯がこんこんとわき続ける別荘地で、私はひたすらHuluで『ザ・ローマ 帝国の興亡』を観続け、熱中しすぎて脱水症状を起こすぐらいあったまって過ごした。ああ、なんという潤沢な製作費であろうか。ROMA最高。
夏休みシーズンで友人たちが代わる代わる泊まりに来てくれ、最終週は家族が関西からやってきてのんびり田舎の夏を楽しむことができた。高原が近くとにかく水と野菜がおいしくて、肉が食べたいとまったく思わなかった。
ここで私は自分をまたひとつ知ることができた。私はおいしい水が大好き。おいしい水でできた新鮮な野菜ももちろん好き。今まで自分のことを肉好きだと思っていたけれど、なんと野菜さえあれば肉は必要ない人間だったのだ。そんな気づきは初めてだった。
では、草津に拠点を買うか? いや買わなかった。草津のお湯は前評判通り最高だったのだけれど、冬は雪かきが必要だということと、女一人が住むには山奥の別荘地はちょっと不安に感じた。あとは関西からだと、アクセスが悪い。私が住む芦屋エリアからだと、草津までは6時間半以上もかかってしまう。
山は湿気があり、手入れをしていない別荘は傷んでいた。あとは草津の湯は強硫黄泉のため、流れる川には虫も魚も生息できない。当然配管メンテナンスが大変で、維持費が思った以上に高額だった。
結局、泣く泣く草津を断念した。あとは山よりも海に魅力を感じている自分を知った。
物件探しを通して、自分が求める生活や夢がクリアになっていった(イラスト/いまがわ)
アクセスという点でのネックを解消するため、次は関空からヒョイっと行ける奄美大島で半月過ごしてみた。温泉は必要か、海と温泉、どっちにより魅力を感じているか、自分自身に聞くためだった。
奄美大島は大変魅力的だった。年中冬知らずで夏は本土より湿気がなく過ごしやすい。とにかく目の前に広がる海の青いこと。瀬戸内海とは違うエメラルドグリーンは強い日差しの証し、自分が思っている以上に開けた視界が心をぱっと明るくキープしてくれる。神戸から直行便が出ているだけあってアクセスは文句なし。
太陽の力ってすごいんだ。いまさらながらに南の島でそんなことを自覚した。私は腎臓病になってから長らく薬の副作用もあって睡眠障害を患っていた。15年以上飲み続けた薬なしでは寝ることはできなくなっていた自分自身に対してどこか負い目のようなものもあり、睡眠こそが健康の源だといわれるにつけ、なんとかせねばと焦るばかりだった。
この南の島に家を持てば、この太陽を毎日浴びて起きれば健康になれるのではないかという期待もあった。毎日波の音を聞きながらルーフバルコニーに設置された、温泉ではないが普通のお風呂に入ってみる。最高だった。
すぐに海を見ながらの入浴に夢中になった。善は急げでさっそく物件を探し始めた。車の運転をしない私にとって生活は大事だ。とくにここは離島なので通販で買うにも送料がかかる。島でつくっていないあらゆるものが本土より高い。さて、車なしでよそものが生活していけるのだろうか。
ここで自分のことをまた新たに知ることができた。私は引きこもりが大好きだから、通販でものを買うときいちいち送料に気を遣うのはストレスだった。台風シーズンも未知だった。あとは、やっぱりどう考えても私は温泉が恋しかった。温泉を諦めきれなかった。
それでも十分魅力的ではあったので奄美大島は最終候補に残した。最終的に私は伊豆にぼろマンションを買ったのだけれど、今でも奄美大島のことは大好きで、一年に一度は訪れたいと思っている。
物件選びは自問自答の連続 自分の欲と向き合うセラピーここまで、自分だけの秘密基地を探す旅は、この歳になって改めてひとつひとつ自分を知るいい機会だった。なぜならなにが自分のためになるか、自分の幸せをはっきり言語化できなくては自分自身に投資もできない。時間は限られていて、優先度をはっきりとつけられることが人生にとって重要なスキルであることはいうまでもないから、私は常になにが自分にとって幸せなのかをただただ問いただし、優先順位をはっきりつけるようにしていた。
旅と知らない土地での暮らしは、まさにお風呂で日々の汚れを落とすように私自身をブラッシュアップしてくれた。私は現在睡眠障害があり、運動不足。必要なのは太陽の光を浴びて暮らせるアクセスのいい場所。引きこもりが好きだから通販でなんでも買えてネットスーパーが配達に来てくれることはマストであり、なければ徒歩圏に最低2つ以上の生鮮食品を売っている場所があること。水がおいしいこと。海!そして女の一人暮らしに不安がない場所であること。
私は結局伊豆に98万円で温泉のでる築75年の小さな部屋を買ったのだけれど、毎朝太平洋から昇る朝日に強制的に起こされ、水道の蛇口をひねれば箱根の伏流水が出て、朝顔を洗うのも部屋の温泉という生活をしている。
私が秘密基地を持ったことで、家族がそれぞれ自立し、一緒の時間を大切に過ごすようになった(イラスト/いまがわ)
私が頻繁に家をあけていて、家庭に影響が出ないか心配をしたが、我が家の場合は杞憂であった。もともと食事は息子が塾に通い始めてからセルフサービスになっており、家事代行をうまく利用することで、私自身ほぼ料理から解放されていた。
我が家のメンズはそれぞれ独立した生活を営んでおり、家族のトークルームや週に一度の進捗会議によって問題なく、いやむしろ私がそのような2拠点生活を始めてからのほうが共同体としてのチームワークが円滑になった。私が帰宅することがひとつのイベントになることによって、家族がそろった週末に近場でランチにいくことが楽しみになった。
子育ても家事もない小さな部屋で暮らし始めたら、自分でもびっくりするぐらい生活が変わった。まず一日が長いし、ちょっと仕事で嫌なことがあった時も「温泉はいるか」「海見ながらワイン飲むか」と切り替えができる。
伊豆の秘密基地で温泉につかったり海をぼーっと見ていると、不思議なくらいいろんなことがどうでもよくなってメンタルに効く。そんな私の秘密基地を息子は気に入っていて、休みのたびに青春十八きっぷで7時間かけてやってくるようになった。
パートナーのほうはおいしい魚介にめろめろになってしまい、田舎暮らしなんてとんでもないと言い張る田舎出身者だったのが、「こういう暮らしもあり」とまでころりと宗旨替えした。理由は海と水その日の朝とれた魚である。人間は口にするものを変えるだけでこんなにも意識が切り替わるのだと実感した。
あと2年もしないうちに息子は巣立っていくだろう。彼が飛び立つ巣は、アラフォーの私にとってもまた巣であったのだ。巣は小さくても大きくてもよい。
今、私は私一人をとにかく癒やす小さな巣を手に入れた。そこへたくさんの友人たちを迎え入れ、空の巣なんてとんでもない、かえってにぎわいの巣症候群におちいりつつある。みんな私の温泉、すてきでしょ? と自慢しながらつつく金目鯛のしゃぶしゃぶは最高だ。今度の巣で、私は私を育て、もっと自分を知ることで癒やすのだ。
<書いた人:高殿円(たかどのまどか)>
小説家。漫画の原作や脚本なども担う。2000年、『マグダミリア 三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞。2013年、『カミングアウト』で第1回エキナカ書店大賞を受賞。2024年4月には同人誌『98万円で温泉の出る築75年の家を買った』を刊行し、話題に。
<編集:小沢あや(ピース株式会社)>
住まいに関するコラムをもっと読む SUUMOジャーナルこの記事のライター
SUUMO
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『SUUMOジャーナル』は、魅力的な街、進化する住宅、多様化する暮らし方、生活の創意工夫、ほしい暮らしを手に入れた人々の話、それらを実現するためのノウハウ・お金の最新事情など。住まいと暮らしの“いま”と“これから= 未来にある普通のもの”の情報をぎっしり詰め込んで、皆さんにひとつでも多くの、選択肢をお伝えしたいと思っています。
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