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生まれつき重度の聴覚障害がある牧野友香子さんは、難病の娘を授かったことをきっかけに起業し、現在は株式会社デフサポで全国の難聴の子とその親たちのサポートを行っています。
そんな牧野さんの前向きなマインドについて、著書『耳が聞こえなくたって 聴力0の世界で見つけた私らしい生き方』(KADOKAWA)よりシリーズでお届けします。
前回の幼少期のエピソードに続き、今回のお話は高校時代の様子。友人関係、恋愛事情は――
写真左:高校時代の牧野さん(本人提供)
高校に入ってすぐ、すっごく気が合って仲良くなった友だちがいました。クラスも一緒、部活も一緒、家が近くて帰り道も一緒でした。大好きで、毎日ずーっと朝から晩まで一緒なのに、嫌にならないくらい。その子は、めっちゃ頭の回転がいい子で、しかも気が利く子でした。私が聞き逃したことを説明してくれるのがとても上手で。私にとって必要な情報を簡潔に的確に伝えてくれたり、クラスが盛り上がった時にさりげなく教えてくれたり。たぶん、高校時代の私の性格や聞こえのことを一番わかってくれていたと思います。周りの友だちや先生も彼女を頼っていたし、私も「え?今、先生なんて言った?」って聞いてたし。彼女も「わかった、わかった」みたいな感じで対応してくれていて、心強かったことを覚えています。
そんな日々が続いて高校1年の終わりくらいになると、2人で過ごしている時は全然問題ないし気が合うままなんだけど、周りの人たちが勝手に私と彼女を2人セットみたいにしてしまうので、他の子と遊びづらかったり、なんだかお互いにギクシャクしてしまって……。彼女の方は、いちいち私に伝えなくちゃならないことに疲れていたし、私は私で、他の子に聞けばいいことも彼女に聞かなくちゃみたいな周りの空気を感じていて、なんとなく気まずくなっていました。でも2年生になればクラス替えもあるし、そこで離れれば、お互いに嫌いになったわけじゃないからまたリセットできるかなと思っていたのですが、2年生になっても同じクラス。どうやら、先生が気を利かせて私たちを同じクラスにしてくれたみたいなんです。
お互いにしんどいけれど、周りはすごく仲がいいと思っているから、離れるのも微妙だし……と思っていた矢先の帰り道、彼女が言いました。「ちょっと……しんどい。ユカコのことが嫌いってわけじゃないけど、もう疲れたから、距離を置きたい」
彼女の気持ちは重々わかっていたし、私自身も前みたいな関係には戻れないかもと思っていたのですが、ことばにして言われるとやっぱりつらかった。その日は大号泣しながら家に帰りました。
今思えば、彼女は“ユカコ担当”みたいになってプレッシャーも感じていたのでしょう。そんな彼女の気持ちにうすうす気づいてはいたものの、いざ言われるとやはり落ち込みましたし、大好きな彼女にそこまで言わせてしまった自分にも、もやっとしたし、なんでこんなにうまくいかないんだろう……とへこみました。
そこから彼女とは距離を置くようになったのですが、クラスメイトからはケンカしたように見えたらしく、私たちが同じ班になったりしないようにと、すごく気を遣われていましたね。嫌いじゃないしケンカしたわけでもないから、複数いる班で一緒になるのはよかったんだけど、なんだかそれもうまく伝わらず、高校2年生の1年間は苦しい思いが続きました。
彼女が「しんどい」のと同じように、私も、2人がいつも“セット”で見られることにしんどさを感じていました。他の子にわからないことを聞くのもなんとなく気が引けたり、周りもそれは彼女がやること、みたいになって、聞ける雰囲気じゃなかったり……。でも、私から「離れよう」と言う選択肢はありませんでした。
やっぱり、彼女のおかげで助かっている部分が大きかったんですよね。テスト範囲もきちんと教えてくれたし、私が「わからない」って言う前に察知して伝えてくれていたし。もし彼女がいなかったら、学校生活はもっと大変だったと思います。半分はしんどいけれど、半分は助かってるし、気も合うし、やっぱり一緒にいて楽しい。きっぱり離れたいわけではないけれど、ずーっと一緒はお互いちょっと疲れてきている――。2人にとってちょうどいい距離の取り方が、うまく見つけられませんでした。
社会人になって久しぶりに彼女に会った時、「そういえば、あの時は……」という話をしました。そんなに細かく話したわけではないけれど、お互いに「うん、わかってる。あの時はあれしかなかったけど、もっといい方法があったなって今となっては思う……!」みたいな感じでしたね。今はまた仲良くなって、大人の友だちとして付き合っています。もともと気が合っていたから、関係性が戻るのも早くて。今でもすごく尊敬している友人の1人です。
気が合って仲がいいからこそ頼りになるけれど、“聞こえ”について1人の人に頼りすぎてはいけないし、依存関係になると後々お互い大変になるということ。いろんなことを分散して、少しずついろんな人に頼る健全な関係の方が、相手も自分も楽なんだということを、この苦い経験で知りました。
※画像はイメージです
高校のころは、恋愛にもコンプレックスを感じていました。聞こえる子が当たり前にできることも、聞こえない私にはできないことがたくさんある。家族や友だちにはそういう面も見せられるけど、好きな人には見せたくないという気持ちがあって。やっぱり、いいところを見せたいっていう“ピュアな恋心”があったんですよね(今はもう、そんなピュアさはないけれど)。だから、近くにいて、私の聞こえなさやできなさを知っている同級生の男の子には、好きになってもらえないし付き合えないんだろうなあ、と勝手に思っていました。高校のころに付き合ったのは、習い事でつながりのある違う学校の子や、学年の違う先輩。それでも、「聞こえない私が好きって言ったら迷惑かも」と思っていたので、相手から言われて付き合うという感じで。臆病な私は自分から告白したことはありませんでした。
付き合った人は、もちろん私が聞こえないことを知っています。それでも、言っていることがわからなくて聞き返したら悪いかなと思って聞き返せなかったり、普段だったらそこまで頑張って口を読まない場面でも、無理してガン見して口を読んだりしていました。学校帰りに映画を見ることになって、ちょうどいい時間にやっているのが邦画だったりすると、字幕がないんですよね。友だちだったら「字幕ないから、ムリやわ」って言えるのに、彼氏には言えなかった。映画の雰囲気はわかるけど、口を読むのも限界があって、内容は全然わからない。内心、「つまんないな」と思いながら見て。電話とかカラオケとか、本当にできないことは「できない」と言っていたので、その上、映画もわからない!って言ったら、「障害がある彼女って面倒くさいな」と思われるんじゃないかって考えていたんですよね(聞こえない私と付き合うくらいなんだから、実際はそんなことはなかったと今なら思うんだけど)。
当時、友だちは彼氏とウィルコムの無料通話プランでずっと電話していて、うらやましいなと思うと同時に、「彼は、電話のできない私のこと嫌って思わないのかな」とか思っていました。できないことは全部正直に言って、私らしくいられればよかったのですが、こと恋愛に関してはそれができなかった。だから、相手に告白してもらって付き合っても、私が無理して疲れちゃって、「別れたい」と言って終わっていました。それが“一人相撲”だったとわかるのは、高校を卒業してからです。
牧野友香子さんInstagramより
付き合っていた人と別れて、次の彼氏ができるまでの間は、「みんなは普通に次の彼氏もできるけど、やっぱり耳が聞こえない、障害者の私は彼氏なんてできないんだ‼」とよく友だちに愚痴ってました。友だちは、「いやいや、こないだまでいたやん!」と突っ込みながら「また、すぐにできるよー」「聞こえないとか、関係ないやん」という感じでしたが、私からすると「いや、関係ないことはない!」とかたくなに思ってました。みんなはそう言うしかなかったと思うけど、自分としては重要な問題だったから、それをわかってもらえなくてもやもやし続けていました。「聞こえない人の恋愛ってハードルが高いんだって!だって、耳が聞こえない人と誰が付き合いたいって思うの?」とずーっと思ってたので、好きになってくれた人には本当に感謝しかなかったです。小さなことかもしれないけれど、大晦日から元旦になった瞬間に「あけましておめでとう」の電話をするとか、夜の公園でたわいのない話をずっとするとか、みんなが恋愛において当たり前に楽しんでいることができないのは、自分も寂しいし、相手にも申し訳ないし……。思春期で恋愛に憧れもあったので、その、憧れていることの中にできないことがたくさんありました。それを無理にやろうとすると、結局うまくいかなくて自己嫌悪に陥っての繰り返し。今なら、できないことは「できない」と明らかにした上で、どんなサポートをしてほしいか、どんなふうに補ったらできるのかを、もっとうまく伝えられると思います。でも、当時は「あれもできない」「これもできない」と、無意識のうちに「できないこと」ばかりを探してマイナスに捉えていました。本当は「できること」もたくさんあったはずなので、そっちに意識を向けていれば、もう少し楽しく恋愛できたのかもと思ったりします。
この記事のライター
マイナビウーマン子育て
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